こんにちは!
今回は、ピカソの最初の妻オルガについてです。
早速見ていきましょう!
オルガ・コクローヴァ(1891-1955年)
最初の妻オルガ・コクローヴァは、ロシア貴族の血を引くバレリーナでした。
父親はロシア将軍だったこともあり、気品があり、気高い女性だったそう。
1911年、20歳のときにバレエ団に入団します。
しかし、才能を買われてというよりも、親の経済的な豊かさや育ちの良さから選ばれたそうで…。
1917年、ピカソが衣装デザインをしていたバレエ「パラード」に出演し、ピカソと出会います。
ピカソは彼女が美人で貴族というのが気に入っていたそう。
1918年、ピカソと結婚し、しばらくしてバレエ団を去ります。
《ソファに座るオルガの肖像》1918年
この頃のピカソは、キュビスムという手法を確立していましたが、オルガからは「私を描くときは、私とわかるように描くこと」と言われていました。
この時代のピカソの絵は「新古典主義」といわれる画風で、ギリシャ彫刻のようでした。
オルガと結婚してからピカソは社交界デビューし、ブルジョワの人々と交流するようになりました。
クローゼットは高級な服であふれ、運転手などの使用人も雇い、贅沢な暮らしを満喫しました。
最初は楽しんでいたピカソでしたが、次第に社交界に疲れ、嫌気がさします。
1921年、長男パウロが生まれますが、この頃から徐々に2人の関係は悪化していきました。
1927年、ピカソは17歳のマリー・テレーズと不倫を始め、マリーが妊娠し、1935年にはオルガと別居します。
《物思いにふけるオルガ》1923年
ピカソが財産の半分をオルガに慰謝料として譲渡することを嫌がり、離婚することはできませんでした。
そして1955年、オルガは癌で亡くなりました。
《ソファの上のオルガ》1918年
《3名のダンサー》1919年
一番左がオルガです。
《7名のダンサー》1919年
手前にいるのがオルガです。
《肘掛け椅子のオルガ》1919年
《ラボエティ通りのアーティストサロン》1919年
《研究:オルガの刺繍と椅子に横たわる人物》1920年
《ショールを羽織るオルガ》1920年
《羽根付き帽子のオルガ》1920年
《肘掛け椅子に座って刺繍をするオルガ》1920年
《肘掛け椅子い座って読書をするオルガ》1920年
《肘掛け椅子に座るオルガ》1920年
《読むオルガ》1920年
《読む女》1920年
《パウロにミルクをあげるオルガ》1921年
《ピアノを弾くオルガ》1921年
《オルガの肖像》1921年
《オルガとパウロ》1922-1923年
《オルガとパウロ》1922年
《オルガとスープを飲むパウロ》1922年
《毛皮の襟のオルガ》1923年
《毛皮の襟のオルガ》1923年