こんにちは!
今回は、ディアナとアクタイオンの物語についてです。
早速見ていきましょう!
アクタイオン
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《ディアナとアクタイオン》1556-1559年
ツイてない猟師
ジュゼッペ・チェーザリ《ディアナとアクタイオン》1603-1606年頃
アクタイオンは、ギリシャ神話に登場するテーバイの王子です。
彼は、ケンタウロスのケイロンに育てられ、狩猟の術を教わりました。
あるときアクタイオンはキタイロン山のガルガピアの谷間で、狩り仲間とともに、自分の手で育てた50匹の猟犬を率いて狩りに興じていました。
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー《ディアナとアクタイオン》1836年
アクタイオンは狩りの成果が良かったので一時狩りを休止し、猟犬を休ませるために泉を探して歩きました。
男嫌いの女神ディアナ
フランソワ・クルーエ《ディアナの水浴》1559-1560年
ところがガルガピアの谷間は、狩猟の女神ディアナ(アルテミス)に捧げられた聖域であり、ちょうど谷の一番奥まった場所にある洞窟に湧き出している泉で、狩りに疲れたディアナが取り巻きのニンフたちとともに水浴びをしていました。
ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ《ディアナとアクタイオン》1743-1744年
ディアナは男嫌いの処女神です。
そうとも知らずにアクタイオンは洞窟に入っていき、ディアナの入浴中の裸体を誤って目撃してしまいました。
女神の怒りは恐ろしい
ルーカス・クラーナハ《ディアナとアクタイオン》1540年頃
女神の逆鱗に触れ、女神の裸を見たと言いふらすことが出来ないように鹿の姿に変えられ、さらに彼の猟犬たちを狂わせ、アクタイオンを襲わせました。
ジャン=フランソワ・ド・トロワ《ディアナとアクタイオン》1734年
アクタイオンは水面に映った自分の姿に驚きましたが、口から出てくるのはうめき声だけでした。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《アクタイオンの死》1559-1575年頃
アクタイオンはテーバイの王宮に帰るべきか、森の中に隠れているべきか迷ったあげく、猟犬たちに見つかり食い殺されてしまいました。
ウジェーヌ・ドラクロワ《夏ーアクタイオンに驚くディアナ》1856-1863年
なんて理不尽な…と思ってしまいますが、彼らは人間ではなくて「神」つまり、抗えない運命や荒ぶる大自然を表しています。
死のバリエーション
トマス・ゲインズバラ《ディアナとアクタイオン》1785-1788年
異説では彼の死は、ディアナの裸体を目撃した時に犯そうとしたため、アクタイオンが自らの狩猟の腕を誇って女神を軽んじたため、叔母のセメレと結婚しようとしてゼウスと争ったため、ディアナはアクタイオンに鹿の毛皮を被せて猟犬たちに襲わせたなどなど、様々なバージョンがあります。
その他の絵
フォンテーヌブロー派《ディアナとアクタイオン》1525-1550年
アンドレア・スキャヴォーネ《ディアナとアクタイオン》1559年以降
ベルナルト・ド・ライケレ《ディアナとアクタイオン》1562年
アゴスティーノ・カラッチ《アクタイオンの死》1584-1586年
ヨーゼフ・ハインツ《ディアナとアクタイオン》1590-1600年頃
ハンス・ロッテンハンマー《ディアナとアクタイオン》1596-1606年
ヤン・ブリューゲル(父)《ディアナとアクタイオン》1600年
アレッサンドロ・トゥルキ《ディアナとアクタイオン》1600年
ヤン・ブリューゲル(父)、ヘンドリック・ファン・バーレン《ディアナとアクタイオン》1604-1608年
ヨアヒム・ウェテワエル《ディアナとアクタイオン》1607年
ジュゼッペ・チェーザリ《ディアナとアクタイオン》1600-1625年
フランチェスコ・アルバーニ《ディアナとアクタイオン》1600-1625年
フランチェスコ・アルバーニ《ディアナとアクタイオン》1625-1650年
ピエトロ・リベリ《ディアナとアクタイオン》1660年
ルイ・ガローシュ《ディアナとアクタイオン》1670-1761年
ウィレム・ファン・ミーリス《アクタイオンに驚くディアナとニンフたち》1693年
アンドリース・コルネリス・レンズ《ディアナとアクタイオン》
ロバート・スマーク《ディアナとアクタイオン》
《ディアナとアクタイオン》17-18世紀
ジャック=アントワーヌ・ヴァラン《アクタイオンに驚く水浴中のディアナとニンフたち、日没の効果》1810年
テオドール・シャセリオー《ディアナとアクタイオン》1840年
ウィリアム・エドワード・フロスト《アクタイオンに驚いたディアナとニンフたち》1846年
《ディアナとアクタイオン》1871年
アリン・コックス《ディアナとアクタイオン》1948-1949年