ダヴィッド「ナポレオンの戴冠式」を超解説!ナポレオンの華麗なるイメージ戦略

こんにちは!

ダヴィッドの代表作《ナポレオンの戴冠式》について解説します。

早速詳しく見ていきましょう!

ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠

ジャック=ルイ・ダヴィッド《ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠》1806-1807年

ナポレオンのイメージ戦略

この作品は、ナポレオンの栄光と権威を後世に残すイメージ戦略の一環として描かれた、ダヴィッドの代表作です。

そのサイズは縦6.2メートル、横9.8メートルと、とても大きな絵です。

縦6.2×横9.8メートルもあるとても大きな作品です。

ルーヴル美術館に収められており、その中でも2番目に大きい作品です。(1番はヴェロネーゼ《カナの婚礼》

実際よりも空間が縮小され、人物は等身大で描かれているため、強い臨場感があります。最前列の右側の数人は、身長が2メートル近くもあるように描かれています。

絵の中には、華麗な衣装を身にまとった191人が描かれています。そのうち、約100人は顔まで忠実に再現しているとダヴィッド自身が述べたといわれています。

全ての人々の視線は、作品の中心、すなわちナポレオンに注がれています。

人物たちは、まるで像のようにポーズをとっています。これは、古代ギリシャ・ローマ時代の歴史的な場面を彷彿させるための演出です。

そして、背後に配された三本の壮大な柱は、人々が整列する場面をしっかりと分け、安定した印象を与えています。

戴冠式の舞台

この作品は、1804年12月2日にパリのノートルダム大聖堂で行われた実際の戴冠式の様子を描いています。

この戴冠式を機に、ノートルダム大聖堂の内部はゴシック様式から新古典主義様式に改装されました。

歴代のフランスの王たちは、9世紀のルイ1世から25代にわたり、パリの北東に位置する町ランスのノートルダム大聖堂で戴冠式を行っていました。

Notre-Dame(ノートルダム)」とはフランス語で「我らが貴婦人」、すなわち「聖母マリア」を意味し、フランス語圏には多くのノートルダム(聖母マリア教会)という名のカトリック教会があります。

ナポレオンは、王族であるブルボン家の後継者とされるのが嫌で、「フランス人民の皇帝」と名乗りました。

そのため、ランスでの戴冠は考えられませんでした。

彼は一千年前のローマ皇帝、カール大帝(シャルルマーニュ)に倣い、古典的な宗教儀式を採用しました。

その結果、戴冠式はランス司教ではなく、ローマ教皇によって執り行われました。

ナポレオン

中央にいるナポレオンは、右前景の人々が影となって彼を際立たせ、斜め左上からの神秘的な光によって一層輝いています。

金とダイヤでデザインされた月桂冠を被るナポレオンは、この時35歳でした。

実際のナポレオンは「チビ・デブ・ハゲ」だったようですが、絵の中では身長も数十センチかさ上げされ、外見も美化されています。

彼の金糸で縁取った純白のビロードの衣装や、鷲の模様入りの赤いマント、マントの裏が白テンの毛皮なのは、ブルボン家の大礼服用マントに似せているでしょう。

マントの黒い点々は、実は白テンの尻尾です。

ちなみにマントにある黒い点々は、実は白テンの尻尾です…。

ナポレオンのポーズが違った

ジャック=ルイ・ダヴィッド《ナポレオンの戴冠式》

ナポレオンは、国民に選ばれて皇帝になったことをアピールするために、実際の式典では自分で冠を被りました。

ジャック=ルイ・ダヴィッド《自ら戴冠するナポレオン》1804-1807年頃

当初その場面を描いていましたが、これではあまりにも傲慢に見えるということで、ナポレオンが誰によって戴冠したかは曖昧なまま、ナポレオンが皇后に戴冠するシーンに変更されました。

ローマ皇帝式

ナポレオンがブルボン王朝とは一線を画すため、彼自身の象徴である鷲と蜜蜂が王笏とローブにデザインされています。

ナポレオンの妻ジョゼフィーヌ

描かれた当時、皇后ジョゼフィーヌは実際には41歳でしたが、ナポレオンの「皇帝の妃は若々しくなくてはならない」という要望により、ダヴィッドは19歳の自分の娘をモデルにして若々しく描きました。

ナポレオンは自分の戴冠後に、妃ジョゼフィーヌに、被せる動作のみですが、自らの手で冠を与えました。

教皇ピウス7世

この作品に描かれている教皇ピウス7世は、当時62歳で、白い法衣を身に着けています。ナポレオンのすぐ後ろで浮かない顔で座っています。

実は、教皇とナポレオンは戴冠式以前から激しく対立していました。

通常、戴冠される人はローマに行くのが普通です。しかし、ナポレオンは自分が「ヨーロッパの覇者」であるとして、教皇をパリに呼び寄せました。

呼びつけて戴冠式に列席させ、三度の塗油の儀だけさせると、教皇が帝冠に手を伸ばす前に、ナポレオンはそれを取り、自分で自分に戴冠しました。

戴冠というのは権威者が行なうものなので、この行為には非常に大きな政治的意味がありました。

諸々の言い訳のため、ナポレオンは、宗教画によく登場する人差し指と中指を伸ばした、「祝福のポーズ」で教皇を描かせました。これは実際には行われていないポーズです。

この一連の行為により、ナポレオンがローマ教皇より上だということを皆に見せつけたのだから、教皇ピウス7世の悔しさと恥ずかしさは、尋常ではなかったはずです。

式に参列した各国の代表や貴族たちも、ナポレオンの力の誇示に驚きました。

宰相タラーレン

タラーレンは、革命からナポレオンの時代、そして七月革命、王政復古、立憲王政と続く政治の変動期において、中心的な役割を果たした政治家です。

彼の政治的手腕は多くの人に知られていますが、金銭に対する欲深さ、そして陰謀に関する噂もありました。

絵に描かれている彼の不敵な笑みは、のちにナポレオンの失脚を予感させます。

また、タラーレンは画家ドラクロワの実父であるとも言われています。鼻先がツンと上向いた特徴的な横顔が似ていたそう。

いないはずの母

正面2階の貴賓席に座る微笑む女性は、ナポレオンの母です。しかし実際には、彼女は当日ローマにおり、式には出席していません。

ナポレオンの母は、嫁のジョゼフィーヌを嫌い、ナポレオンが皇帝になることにも反対していました。

にもかかわらず、絵には彼女や他の欠席者が描かれています。

その理由は、戴冠式という大切な儀式は、すべての人々の祝福の下で行われるべきという考えに基づいています。

ちなみにナポレオンの父は、19年前に既に亡くなっていました。

白いドレスと小さな男の子

女性たちは当時の流行、白いシンプルなドレスを身につけています。

また、女性たちの右側にいる小さな男の子は、ナポレオンの甥シャルルで、当時わずか3歳でした。

シャルルは、ナポレオンの弟とジョゼフィーヌの前の夫との娘が結婚して生まれた子供です。彼はジョゼフィーヌの孫にあたります。

ナポレオンとジョゼフィーヌには子供がいなかったため、シャルルを養子にしました。場合によっては彼が王朝を継ぐことになる予定でした。

しかし、この絵が完成する前に、シャルルは病気で亡くなりました。

ダヴィッド

ナポレオン母の左上に、スケッチをしているダヴィッド自身も描かれています。

この大作を描くにあたって、ダヴィッドはまず、広いアトリエを用意し、必要な画材を集めることから始めました。この準備だけで1年かかったと言われています。

ジャック=ルイ・ダヴィッド《ナポレオン1世の戴冠式》1805年

さらに、会場の模型を作成し、構図や光の角度を詳細に研究しました。

ジャック=ルイ・ダヴィッド《高位聖職者のグループ》1804-1807年頃

戴冠式では、参加した人々のデッサンを丹念に行いました。

ジャック=ルイ・ダヴィッド《「ナポレオンの戴冠式」のためのノートルダムの研究》

式典後、皇帝の豪華な衣装を借り、刺繍など細かい部分まで丁寧にスケッチしました。

ジャック=ルイ・ダヴィッド《羽根付き帽子をかぶった男性の頭部》

それだけでなく、主な出席者の衣装や宝石、勲章までアトリエに取り寄せ、緻密にスケッチしました。

そのため、3年かかってこの作品は完成しました。

完成した作品を初めて見たナポレオンが「これは絵ではない。画面の中に歩いて入れるようだ」といって帽子を取り、ダヴィッドに最敬礼した…なんていう逸話も残っています。

その他の登場人物

カプララ枢機卿

ルブラン(ピアチェンツァ公)

王笏を手にしています。

カンバセレス(パルマ公)

ナポレオン法典の起草者のひとりです。

ルイ=アレクサンドル・ベルティエ(帝国元帥)

十字のついた宝珠を持っています。

ジョアシャン・ミュラ(ナポリ王)

ナポレオンの妹カロリーヌの夫です。

ラ・ヴァレット夫人

皇妃ジョゼフィーヌの姪エミリー・ド・ボアルネです。

ラ・ロシュフーコー夫人

皇妃ジョゼフィーヌの侍女です。

ナポレオンの兄の夫人ジュリー

ナポレオンの弟の夫人オルタンス

ナポレオンの妹(長女)エリザ・バッチォーキ

ナポレオンの妹(三女)ポーリーヌ・ボルゲーゼ

ナポレオンの妹(次女)カロリーヌ・ミュラ

ナポレオンの弟ルイ・ボナパルト

ナポレオンの兄ジョゼフ・ボナパルト

実際には戴冠式に招かれていません。

ダヴィッド夫人

ダヴィッドの弟子ジョルジュ・ルージェ

ヴェルサイユ宮殿にある複製画

ジャック=ルイ・ダヴィッド《ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠》1805-1822年

ダヴィッドは本作の複製画を2枚描きました。

1枚はアメリカの実業家に売るため(戴冠式の様子をアメリカ人に見せるためのもので、ロンドン、ニューヨーク、ボストンなどで展覧会を開催)、もう1枚はタペストリーの下絵として描いたものです。

複製画には一つ面白い違いがあります。ナポレオンの妹ポーリーヌがピンク色のドレスを着ています。オリジナル(ルーヴル所蔵)では白いドレスです。

ジャック=ルイ・ダヴィッド《ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠》1808-1822年

現在、これらの複製画はヴェルサイユ宮殿にあります。

「ナポレオンの戴冠式」の絵を鑑賞する当時の人々

ルイ=レオポルド・ボワイー《ルーヴル美術館でダヴィッドの「戴冠」を見る人々》1810年

1808年から1810年の間に、本作はルーヴル美術館で3回展示されました。

当時、画面左にいる軍人が持っているようなガイドブックに絵の解説が載っており、人々はこれを読みながら絵を鑑賞しました。