ゴーギャンの遺書代わりの大作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」超解説!

こんにちは!

今回は、ゴーギャンの《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》を解説します。

『ダ・ヴィンチ・コード』で有名なダン・ブラウンの『オリジン』にも登場している絵ですね!

早速見ていきましょう!

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

ポール・ゴーギャン《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》1897-1898年

1.39 × 3.74 メートル以上ある大きな作品です!

 

左上にはフランス語で「D’où Venons Nous Que Sommes Nous Où Allons Nous」とタイトルが書いてあります。

ゴーギャンはこの作品について「我々はどこへ行くのか?ある老女の死の近くに。地味だが一風変わった鳥が結論を下す。我々は何者か?取るに足りない存在。本能に生きる者にはこの意味が理解できない……既知のシンボルがキャンバスを憂鬱な現実として凝固させる。投げられた問いはもはや詩ではないだろう」と書き残しています。

 

右上には「P. Gauguin 1897」とサインと制作年が書いてあります。

ゴーギャンがタヒチに滞在していたときに描いた作品です。

右から左へとストーリーが流れていきます。

遺書代わりの大作

この作品を描く前に、娘のアリーヌを肺炎で亡くしています。

ゴーギャンは家族を全く大事にせず、自分の好きなように自由に生きていましたが、そんなゴーギャンが一番可愛がっていたのがアリーヌでした。

さらに土地が売却されたため、家を立ち退かないといけなくなり、今までよりも豪華な家を建てようとして、身の丈に合わない借入れを銀行からし、借金を抱えます。

健康状態も悪化し、追い込まれたゴーギャンはこの作品を描き、完成後に自殺を試みました。(未遂に終わっています)

1か月で仕上げた

大きな作品なのに、わずか1か月で仕上げています。

こんなに急いで制作した理由として、アリーヌの誕生日だと思い込んでいた12月25日(本当は24日)までに完成させるためだったのでは?といわれています。

また、お金が無かったために、通常画布として使用される品質のキャンバスではなく、安価な粗製麻布に描いています。

人生の始まり

 

赤ちゃんは、「誕生」を意味し、3人の人々はお喋りをしています。

成年期

 

果物をもぎ取っている若い男性は、人生の喜びを象徴しています。

エデンの園で禁断の実をもぎ取ってしまうアダムとイヴのイメージと重なります。

 

 

果物を食べています。

誰かと話し合ったり、果物を取って食べたりという日常的な生活を描いています。

愛娘アリーヌ

 

蘇りの力を持つタヒチの神の近くに、亡くなったアリーヌを描いたのではといわれています。

謎の像

 

この奇妙で不自然な青色の像は、タヒチ神話の創造神タアロアでは?といわれていますが、よくわかっていない謎の像です。

他にも月の女神説、「超越者」説などがります。

 

ゴーギャンはこの作品に、過去の作品の中の人物像を何体か再登場させています。

例えば上の女性は…

ポール・ゴーギャン《ヴァイルマティ》1897年

この絵にも登場しています。

さらに、両足にトカゲを挟んだ白い鳥も登場しています。

 

「死を迎えることを甘んじ、諦めている老女」と、

「奇妙な白い鳥が、言葉がいかに無力なものであるかということを物語っている」

とゴーギャンが自分で書き残しています。

浮世絵の影響

ゴーギャン特有の、深くたっぷりとした色彩と、輪郭のはっきりとした力強い人物像、平面的でほとんど抽象画のような構図で描かれています。

パターンを強く意識したこの構図は、日本の浮世絵の影響を受けたものでもありました。

ゴーギャンの色づかいは自然主義的ではありません。

生い茂る草花の豊かな青緑色と、半裸の人物像の強烈なイエロー・ゴールドを並置して、力強いインパクトを生み出しています。

ゴーギャンにとって色彩とは、官能性の表現や装飾的な機能のためだけでなく、考えや感情を表現するために使われるものでした。

本当に死ぬつもりはなかった?

この作品完成後、ヒ素を飲んで自殺しようとしていますが、結局未遂に終わり、その後は普通に生活しています。

このことから、本当に死のうと思っていたのではなくて、「死んで伝説になる」という一種のパフォーマンスを計画していただけでは?ともいわれています。