裸の絵を飾りたい依頼人と2枚のマハ

こんにちは!

今回は、裸の恋人の絵を飾りたくてどうしようもなかったえらい人の話です!

この絵が描かれた当時、神話に登場する女神以外の裸体NGでした。

神は人間では無いのででもOKという謎ルールが存在していました。ご都合主義〜!

どんな画家のどんな絵なのか早速見ていきましょう!

フランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828年)

フランシスコ・デ・ゴヤ《自画像》1815年

フランシスコ・デ・ゴヤはスペインの画家です。

40歳すぎに宮廷画家となり、78歳まで務めます。すごすぎる。

46歳のとき重病にかかり、その後遺症として聴力を失います

今回取り上げる絵は聴力を失って3年後に描かれた作品です。

2つのマハ

《裸のマハ》と《着衣のマハ》は、首相マヌエル・デ・ゴドイの注文で制作し、ゴドイの私室に飾られていました。

当時のスペインは、カトリックゴリ押しだったので、女性の裸の絵を所有しているなんて、とてもとても許されることではありませんでした。普通に捕まります。

それでも(?)諦めきれないゴドイは、裸と着衣セットでゴヤに描かせることで、この問題を解決しようとしました。

どう解決しようとしたのか、考えながら2つの絵を見てみてください。

裸のマハ

フランシスコ・デ・ゴヤ《裸のマハ》1795-1800年

モデルはゴドイの愛人ペピータだと考えられています。

顔まで愛人にしてしまうと愛人の存在が周囲にバレてしまうので、身体は愛人顔は別のモデルで描かれています。

なので顔だけがちょっと不自然というか、のっかってる感があります。

そもそも「マハ」というのも人名ではなくて、「小粋な女」という意味のスペイン語です。

2つの絵を見比べたときに、どうしても服を着ているか着ていないかというところばっかりに気を取られてしまうのですが、

よく見ると、緑のソファーベッドのボリュームが違います。

裸の絵では、緑の面積が大きく色も濃く、ゴージャス感をさりげなく演出し、裸をより引き立てています。

これが着衣の絵のような控えめだと、画面が寂しげで貧相に見えてしまいます。

着衣のマハ

フランシスコ・デ・ゴヤ《着衣のマハ》1800-1807年

緑のソファーベッド部分が、服を目立たせるため、裸の方よりも控えめです。

もしこれが裸の方みたいに主張が激しいと、画面がごちゃごちゃしてしまいます。

引き算の美学ですね。さすが巨匠。

どうやって裸の絵を飾っていたの?

裸の絵をそのまま飾っていると速攻で捕まります。

じゃあゴドイはどうしたのかというと、なんと!

2枚重ねて飾っていたんです!

表に着衣、下に裸です。

を引くと、下の絵が出てくる仕掛けになっていました。(すごい)

バレる

この後いろいろあって、ゴドイは国外へ亡命し、2枚のマハは運び出され、転々としていたところ、異端審問所に目をつけられてしまいます。

ゴヤは2枚のマハの作者として異端審問にかけられることに。

「この絵はあなたが描きましたか?」

「誰の依頼で誰を描き、何のために描きましたか?」

など問い詰められましたが、ゴヤが答えることはありませんでした。

内部にゴヤを支持する人物がいたのか、ゴヤは裁かれず、この一件はうやむやな感じで終わります。

異端審問って、無実の人が証拠も何も無いのに匿名の人物の密告だけで捕まって、拷問されて、無い罪を自白するっていう最悪のシステムなのに、何もなく終わるゴヤには何かある。(笑)

もうひとつのモデル

モデルはゴドイの愛人ペピータ説と、もうひとつ、ゴヤの愛人アルバ公爵夫人説があります。

これには、スペインの名門貴族であるアルバ家が、「アルバ家の人間が、世間にヌードをさらすなんてことは絶対しない!」と激しく抗議します。

この説を否定するため、1945年にアルバ公爵夫人の墓を掘り起こし、彼女の遺骨を計測し、《裸のマハ》と比較しようとします。

しかし、遺骨が完全な形で残っていなかったことから、実証することは出来ませんでした。

まとめ

ゴヤは長く宮廷画家を務めたすごい画家
・宮廷画家になったかと思いきや聴力を失う2つマハ重ねて飾られていた