こんにちは!
今回は、フェルメール《青衣の女》
早速見ていきましょう!
青衣の女
ヨハネス・フェルメール《青衣の女》1663年
手紙が読めるのはすごいこと
14〜15世紀、ネーデルラント(現在のオランダとベルギーの一部)で、祈祷書の黙読が女性の間で広まりました。
それ以降、教会ではなく自室のプライベートな時間にも書物を読む習慣ができ、女性の識字率が向上しました。
カトリックであるスペインから独立したオランダの市民はプロテスタントが多く、聖書を読むことを大切にしていました。
大都市の大人の識字率は90%で、読み書きのできる女性の数も、他のヨーロッパの国々より圧倒的に多かったといわれています。
そんな識字率の高さから印刷業が発達し、書物が流通するようになり、ヨーロッパで初めて近代郵便制度が整備され、手紙が流行していました。
モデルは妊娠中の妻?
ゴッホがこの絵を「手紙を読む身重の女性」と表現したように、お腹の膨らみから、彼女は妊婦のようにも見えます。
実際に絵のモデルは妊娠中のフェルメールの妻カタリーナ説もあります。
しかし、当時のオランダでこのようなゆったりとした服装が流行していたようで、モデルは謎のままです。
宝石ラピスラズリで作った絵の具
この絵の青色は、フェルメールブルーと呼ばれる宝石ラピスラズリをすり潰して作ったウルトラマリンを使用しています。
この青色を引き立てるために、補色の黄色を使用しています。
地図をおしゃれアイテムとして使う
17世紀のオランダは、海洋貿易で黄金期を迎えていました。
地理学も発達し、最新の地図が製作されるようになりました。
室内の装飾に良さげな美しい地図も製作されるようになりました。
ヨハネス・フェルメール《士官と笑う娘》1657年
この絵の中に描かれているのは、フェルメールが実際に所有していたネーデルラントの地図で、彼の他の作品にも登場しています。
本作では、地図は部屋の装飾としてだけではなく、彼女の読んでいる手紙の差出人が遠い異国にいることを暗示し、空いた椅子はその不在を強調しています。