30歳以上年下の女性とばかり結婚した画家ワッツの神秘的な絵とは?

こんにちは!

今回は、不思議な絵を多く描いた画家ワッツについてです。

早速見ていきましょう!

ジョージ・フレデリック・ワッツ(1817-1904年)

《自画像》1864年

ジョージ・フレデリック・ワッツは、イギリスのヴィクトリア朝時代の画家です。

1871年、ロンドンの貧しいピアノ職人の家に生まれます。

繊細な子供でした。

幼い頃から美術の才能を表しており、10歳で彫刻を習い、18歳で美術学校に入学します。

自分好みに育てたい欲

ジョージ・フレデリック・ワッツ《選択》1864年

1864年、ワッツ46歳のとき、16歳のエレン・テリーと結婚します。

30歳差!!!(ですが、当時の感覚だと16歳は立派な大人、経済的に安定した年上の男性と結婚することも珍しくなかった)

演劇一家に生まれたエレンは、子供の時から舞台に上がっており、10代で既にイギリス各地をツアーでまわっていました。

エレンと出会ったワッツは、「こんな幼い頃から働かされていてかわいそうだ…なんとかしてあげたい!」と思い、

友人に手紙で「養女にするのはどうだろう?」と訊いてみて、「やめておけ」と言われ、

今度は「妻にするのはどうだろう?」と訊いて、「やめておけ」と忠告されます。

結局ワッツは、友人になんとなく相談していただけで、エレンをにしています。

エレンはそれで良かったのかというと、立場的にそれを否定することができなかっただけで、嫌だったんじゃないかなぁ〜って思います。

その証拠に、結婚して10ヶ月後、家を出てしまいます。

上の絵は、結婚し、そして別れた年に描いたエレンの絵です。

ワッツの友人の画家ウィリアム・ハントがデザインした結婚衣装を着ています。

この絵では、タイトルの通り「選択」が、描かれています。

エレンが香りを嗅いでいるのは、椿です。

椿は、甘美な外見にも関わらず、ほとんど香りはありません。

エレンの左手の中には、スミレがあります。

スミレは、目立たない外見ですが、甘い香りがします。

椿は世俗的な虚栄心、スミレは高い美徳を表しています。

どちらも成功した

ワッツとエレンは離婚しましたが、その後、どちらも成功しました。

エレンはワッツと別れた後、舞台に復帰し、大女優にまで昇りつめ、イギリス人女優として初めて「デイム」という称号を得ます。

これは、男性のサー(ナイトの称号)の女性版です。

ワッツも、また33歳も年下の女性と再婚し、象徴主義の画家としても成功、メリット勲章を受章しています。

鳥事件

《ミノタウロス》1885年

ミノタウロスはギリシャ神話に登場するモンスターです。

ストーリーについての詳細はこちら↓

生贄を乗せた船の到着を待っているのでしょうか。

そんなことよりも、こぶしで潰れている小鳥が気になります。事件です。

ワッツの絵の特徴として、芸術を用いて道徳的なメッセージを伝えているというところがあります。

なのでこの絵も、ミノタウロスが男性の欲望を表し、つぶれた小鳥は若者の純粋さと脆弱さを、生贄は子供(少女)を表しています。

当時の児童売春問題を描いた作品です。

希望というより絶望

《希望》1897年

ワッツの代表作です。

目隠しをした「希望」が、地球の上に座っています。

1本以外全て弦が切れている竪琴を鳴らしています。

状況的に「希望」というより、もはや「絶望」。

ミノタウロスの絵のときもそうでしたが、顔を隠すと、神秘的な雰囲気が増しますよね。

イギリス初であり唯一の美術館

1904年、イギリス初であり、現在でも唯一の、1人の美術家のためだけに建てられた美術館、「ワッツギャラリー」がオープンしました。

それからまもなくしてワッツは亡くなります。

まとめ

ワッツは象徴主義の画家
・絵を通して道徳的なメッセージを伝えた
・30歳以上年下の女性と2度も結婚