こんにちは!
今回は、ターナーの《戦艦テメレール号》を解説します。
早速見ていきましょう!
戦艦テメレール号
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《解体されるために最後の停泊地に曳かれてゆく戦艦テメレール号》1839年
イギリス海軍史上最も有名な海戦
テメレール号は、イギリス海軍史上最も有名なトラファルガーの海戦で、重要な役割を果たしました。
1805年10月21日、ネルソン提督が率いるイギリス海軍は、スペインのカディス南に位置するトラファルガー岬の沖で、フランスとスペインの連合艦隊と砲火を交えました。
エライアブ・ハーヴェイ艦長のもと、テメレール号はネルソン提督の旗船、ヴィクトリー号を救い、フランスの船を2隻捕らえました。
4時間半で、イギリス海軍は半数以上の敵船を降伏させ、1隻を撃沈しました。
海戦中にネルソン提督は致命傷を負いましたが、戦いには勝利し、ナポレオン軍進攻の脅威を回避することができました。
それから33年後の出来事がこの絵に描かれています。
テメレールってなに?
テメレール号のテメレールは、フランス語の「テメレーア(向こう見ずな)」からきています。
戦艦っぽい名前ですね。
1812年、14年間戦い続けたテメレール号は、もうこれ以上前線で戦うにはボロボロすぎるということで、戦艦ではなく、監獄船として使用することに。
さらに3年後には、20年以上新兵の訓練船として使用されました。
そして1837年、ヴィクトリア女王即位時の祝砲が最後の仕事となり、翌年、廃材業者に売却され、解体のため、蒸気船に曳かれていくそのシーンをターナーは描いています。
とはいえ、実際の曳航をターナーは見ていたわけではありません。創作です。
実際とは違う
手前の黒い蒸気船が、後ろの大きなテメレール号を曳いています。
蒸気船が、火炎まじりの黒煙と波しぶきをあげながら、テメレール号を引っ張っていきます。
実際には取り外されていたテメレール号の3本マストも、絵には描き加えられています。
これが無いとあまりにも見た目が貧相で、絵にならないと判断したのでしょう。
白い帆を張った船の先に2人男女でしょうか、さらに後ろに1人いるようにも見えます。
新旧交代
テメレール号の後方に帆を張った船を描くことで対比させ、かつてのテメレール号の活躍を思い出させる仕掛けも。
船を映す水面が鏡のようです。
手前にあるブイが、墓標のようです。
これがあることで、画面から鑑賞者の視線がスーっと抜けてしまうのを防いでいます。
夕日へのこだわり
沈みゆく太陽は、帆船の時代の終わりとテメレール号の解体を象徴的に表しています。
水面に映る血のように赤い空は、英国海軍がトラファルガーの海戦で払った犠牲を連想させます。
実際の解体現場は、テメレール号がいた場所からは西にあったので、進行方向は西です。
しかし、テメレール号の終わりと夕日を重ねたいターナーは、東に曳かれていくテメレール号を描きました。
テメレール号は、画面のかなり左寄りに描かれていますが、視覚的に完璧な均衡が保たれているのは、燃える夕日が構図の右側を占めているからです。
太陽の上方と周囲にはインパストという技法で、絵具が分厚く盛り上げられています。
月
画面左上の空に銀色の月が見えます。
夕日と対比させています。
イギリス人が1番好きな絵
1839年のロイヤル・アカデミーにこの作品を出品し、大絶賛されます。
かつて大活躍した船の老いと死が、人生と重なるからでしょう。
現在でも大人気で、2005年にイギリス人が選ぶ好きな絵画No.1に選ばれたのはこの絵でした。
ターナーもこの作品を気に入ってたようで、死ぬまで売却せず、手元に残しておきました。