こんにちは!
今回は、ヴェロネーゼの《レヴィ家の饗宴》です。
早速見ていきましょう!
レヴィ家の饗宴
パオロ・ヴェロネーゼ《レヴィ家の饗宴(最後の晩餐)》1573年
元はティツィアーノの絵があった
ヴェロネーゼ45歳のとき、サン・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会の食堂にあったティツィアーノが描いた《最後の晩餐》が火事で焼失してしまったため、ヴェロネーゼが新たに同じ主題で描くことになりました。
この絵なんと横13メートル以上もあります。(縦は5メートル以上)
壮大なスケールの建造物と着飾った群衆は、オペラ舞台のように華やかで、ヴェネツィアで大ウケしました。
十二使徒が集う「最後の晩餐」の情景だけではなく、ドイツ軍人、小人の道化、様々な動物など、ヴェロネーゼが作品に物語性を持たせるために多用した異国風のモチーフがともに描かれています。
お気に入りの緑の服を着たヴェロネーゼが登場しています。
異端審問をのらりくらりとやりすごす
10年前に描いた《カナの婚礼》では、依頼主のベネディクト会修道僧は、作品に可能な限りの人物を描くことを望みました。
しかしながら今回の作品は、聖書のエピソード「最後の晩餐」を描いてほしいという依頼なのに、贅沢な衣装を着たヴェネツィアの貴族階級の祝宴のように描いてしまったことが後々問題に…。
とはいっても依頼主から文句を言われたわけではなく、カトリック審議会に目をつけられてしまいます。
本来の聖書のエピソードとは無関係な小人の道化やオウム、フォークで歯を掃除する人…
酔っぱらったドイツ人、
さらには、マグダラのマリアの代わりに犬を描いたり、鼻血を出した召使いを描くなど品がないとして、この絵のテーマである「最後の晩餐」に相応しくない表現だと異端審問にかけられてしまいます。
この審問自体は懲罰ではなく警告を主としたもので、3カ月以内に作品を描き直すように命じられました。
しかしヴェロネーゼは「我々画家は、詩人あるいは狂人と同じく、心に思ったことを自由に表現する権利を持っている」と言い放ちました。
なぜ鼻血を描いたのかなどの質問に「事故が起きたんでしょう」などと言ってのらりくらりとやりすごし、題名を《最後の晩餐》から《レヴィ家の饗宴》に変更しただけで、異端審問を切り抜けました。(題名も本当は変えたくなくて最後まで渋ったそう)
このヴェロネーゼの異端審問の記録が残っており、カーンアカデミーの「Transcript of the trial of Veronese」(外部のページに飛びます)という英語のページから見ることができて、これが結構面白いです。(が、このページの情報がどこから来ているのかは謎…。カーンアカデミー自体は世界的にとても有名な学習サイトなので嘘ではないとは思いますが)
題名を変えただけで異端審問所が許すの?と思うかもしれませんが、そもそも問題となったのはヴェロネーゼがこの絵を描いたことではなく、「最後の晩餐」の絵だとすると異端なので許せない!ということだったので、名前を変えるならとお咎めなしでした。
また、「レヴィ家の饗宴」も聖書の物語なので、教会に飾るのに適していました。
とはいえ、これがスペインの異端審問ならタダでは済まなかったはずで(異端審問は最悪死刑の場合も)、パーティー好きなヴェネツィアならではのおおらかな判断だとは思います。