見応え抜群!寓意に満ちた絵を描いた画家ブリューゲルを超解説!

こんにちは!

今回は、ブリューゲルについて紹介します。

早速見ていきましょう!

ピーテル・ブリューゲル(1525年頃-1569年)

ピーテル・ブリューゲル《画家と芸術愛好家》1565年頃

ピーテル・ブリューゲルはフランドルの画家です。

上の絵はブリューゲルの自画像として有名ですが、実際は違うそう…。

ブリューゲルの生涯についての資料はほとんど残っておらず、残っている伝記も信憑性が薄く、いつどこで生まれたかもよくわかっていません。

1551年にアントワープの画家組合に、ブリューゲルの名前が登録されていることから、組合に加入する年齢は21〜26歳くらいなので、逆算して1525年〜1530年頃生まれたと考えられています。

今回は1525年生まれと仮定して年齢の表記をしています。

修行

20歳のとき、アントワープの一流画家ピーテル・クック・ファン・アールストに弟子入りします。

クックは神聖ローマ皇帝カール5世の宮廷画家で、イタリア語の建築学の本を翻訳するなど教養人でもありました。

25歳のとき、クックが亡くなってしまいます。

26歳のとき、アントワープの画家組合に親方として登録されました。

イタリア旅行

27歳のとき、芸術の国イタリアを旅行しました。

28歳のとき、ローマに滞在中、細密画家クローヴィオを訪れ、彼のために第1作目の《バベルの塔》(現存せず)などを制作します。

クローヴィオの彩飾写本の《最後の審判》の一部をブリューゲルが描いた可能性もあるそう。

30歳のとき、アントワープへ戻ります。

イタリアの町や古典芸術より、その道中で見たアルプス山脈の方に強く影響を受けたようで、多数スケッチしています。

というのも、ブリューゲルの住んでいた場所がとても平坦な土地で、高さのあるものといえば丘くらいだったので、アルプスの山々の大自然に圧倒されたのでしょう。

ボスの作品ということにされる

ピーテル・ブリューゲル《大きな魚は小さな魚を食う》1557年

版画家であり、ネーデルラントで最大規模の版画発行業者のヒエロニムス・コックから版画下絵のための素描制作を依頼されます。

コックの店に出入りする文化人と交流することもできました。

当時、死後40年経っていたボスの版画や複製画が大流行していました。

そこでコックは、ブリューゲルにボス風の作品を依頼し、ボスの作品として販売しました。

上の作品もボスの作品として発売したもののひとつです。

当時は、ブリューゲルに限らず、こういったことがよくありました。

油彩画

34歳くらいから、油彩画を描き始めます。

最初は、ボス風の幻想・怪奇作品を発表していましたが、鳥瞰図的背景を盛り込んだ緻密な構図、北方的な細密描写とイタリア的描写の混ざり合った表現、ころんとしたユーモラスな人物造形、風刺や隠喩や時代思想への皮肉を織り交ぜ、独特の世界を構築していきました。

ピーテル・ブリューゲル《ネーデルラントの諺》1559年

ピーテル・ブリューゲル《謝肉祭と四旬節の喧嘩》1559年

ピーテル・ブリューゲル《子供の遊戯》1560年

結婚と引越し

ピーテル・ブリューゲル《バベルの塔》1563年

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38歳のとき、クックの娘マイケンと結婚します。

結婚しましたが、どうもブリューゲルには他に好きな人がいるっぽいぞ…?ということになり、義母が2人にブリュッセルへの引越しを勧め、移住したといわれていますが、真偽の程は不明…。

翌年、長男ピーテルが生まれます。

雪景色という新ジャンルを作った

ピーテル・ブリューゲル《雪中の狩人》1565年

40歳のとき、アントワープの銀行家ニコラス・ヨンゲリンクから月暦連作画を依頼され、制作します。

その中の1枚、《雪中の狩人》は、雪景色というジャンルを作った記念すべき最初の1枚です。

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2020.11.14

農民に紛れて祭りへ

ピーテル・ブリューゲル《農民の婚宴》1568年頃

パトロンのフランケルトとよく、農民の服を着て、農民たちの祭りや結婚式に紛れ込んでいたそう。

ピーテル・ブリューゲル《農民の踊り》1568年頃

そこで見た農民たちの姿を絵として表現しました。(ただこの話にどこまで信憑性があるかは微妙)

ブリューゲルの描いた農民のお祭り風の絵が、ディズニー映画『アナと雪の女王』にも出てきます↓

絶筆

ピーテル・ブリューゲル《絞首台の上のかささぎ》1568年

この作品はブリューゲルの絶筆です。

詳細はこちら↓

2人の息子も有名な画家になる

43歳のとき、次男ヤンが生まれます。

翌年、ブリューゲルは44歳で亡くなってしまうため、息子たちに絵を教えたのは、祖母マイケン(師匠クックの妻)でした。

彼女の作品は残念ながら残っていませんが、「才能ある女流画家」と評判の人物でした。

ブリューゲルの長男ピーテルは「地獄のブリューゲル」、次男のヤンは「花のブリューゲル」と呼ばれ、画家として有名になります。

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まとめ

ブリューゲルは、寓意に満ちた絵を描いた画家
・子供たちも有名な画家になった


ブリューゲルの世界 (とんぼの本)