ジョジョに影響を与えたミケランジェロってどんな人物?超解説!

こんにちは!

今回は、ジョジョといえばミケランジェロ!ミケランジェロといえば万能の天才!

ということで、ミケランジェロについてジョジョネタ交えて解説します。

早速見ていきましょう!

ミケランジェロ・ブオナローティ(1475-1564年)

ダニエレ・ダ・ヴォルテッラ《ミケランジェロの肖像》

ミケランジェロ・ブオナローティは、イタリア、ルネサンス期の彫刻家、画家です。

トスカーナ州アレッツォ近郊のフィレンツェ共和国のカプレーゼに生まれました。

貴族の末裔?

数世代にわたって、ミケランジェロの一族は、フィレンツェで小さな銀行業を営んでいましたが、父親が経営に失敗し、共和国政府の臨時職員として生計を立てていました。

父親は貴族の末裔だと自称していて、ミケランジェロもこれを信じていましたが、事実かどうか現在でも実証されていません。

ミケランジェロが生まれて数ヶ月後にはフィレンツェへ移り、幼少期をここで過ごします。

1481年、ミケランジェロが6歳のとき、長い闘病生活の後に母親が亡くなります。

当時父親は、大理石採石場と小さな農園を経営し、石工の一家と一緒に住んでいました。

父親は、ミケランジェロを法律学校へ行かせようとしましたが、彫刻の道を選びました。

あふれる才能

ミケランジェロ・ブオナローティ《階段の聖母》1491年

13歳のとき、画家ギルランダイオに弟子入りします。

ギルランダイオのデッサンに直接筆を入れて直す傲慢ぶりを示したと伝えられています。

当時としては異例中の異例、14歳のときには、ギルランダイオに一人前の画家と認められます。

1489年、フィレンツェ最大権力者ロレンツォ・デ・メディチから、「最も優れた弟子を2人連れてきて〜」と言われたギルランダイオは、ミケランジェロと画家グラナッチを派遣します。

ミケランジェロは、メディチ家のサン・マルコ庭園にある彫刻などを見て勉強します。

ミケランジェロが作っていた彫刻を見て、ロレンツォは才能を見出します。

ロレンツォに気に入られたミケランジェロは、家族同様に扱われました。

鼻が曲がる…

これをよく思わなかったのが、ミケランジェロの友人のトリッジャーノ

ミケランジェロは顔を殴られ、以降は曲がったまま…

死体を見て勉強

1492年、パトロンのロレンツォが亡くなり、父親の元へ戻ります。

その後、フィレンツェのサント・スピリト修道院長への奉献用に、木彫の《キリスト磔刑像》を制作します。

この修道院長は、修道院付属病院で亡くなった人の死体を、解剖学の勉強のためにミケランジェロに提供していた人でした。

瀕死のミスタを抱えたジョルノのモデル ピエタ

ミケランジェロ・ブオナローティ《サン・ピエトロのピエタ》1498-1500年

1494年、政情不安になったフィレンツェを脱出し、ベネツィア、ボローニャを経てローマへ行きます。

1497年、フランス大使からの依頼で《ピエタ》を作成します。

ジョジョ5部の、瀕死のミスタを抱えるジョルノのシーンは、この作品のオマージュですね。

ジョルノのモデル ダヴィデ像

ミケランジェロ・ブオナローティ《ダヴィデ像》1504年

共和制になったフィレンツェに戻り、政府から注文を受けます。

ダヴィデ像制作中、市政長官ピエールから「鼻が大きすぎるんじゃない?」と言われたミケランジェロ。

そこで、鼻を直すフリをしたところ、気付いていないピエールは「直したら良い感じじゃないか〜!」と満足したというエピソード、機転が利いてて良き。

ジョジョ5部の主人公ジョルノのモデルはダヴィデ像だそう。(かっこいい)

値切られて倍の値段で買わせた作品

ミケランジェロ・ブオナローティ《聖家族》1505-1506年

フィレンツェの商人アニョロ・ドーニが自分たちの結婚祝いとして注文した作品です。

アニョロから値切られたミケランジェロは、めちゃキレて、アニョロは2倍の金額で買うことに…(笑)

壁画以外の絵画としては、これが唯一残っている作品です。

レオナルド・ダ・ヴィンチとの幻の競作

バスティアーノ・ダ・サンガッロ《カッシーナの戦い》の模写 1542年

ミケランジェロとレオナルド・ダ・ヴィンチは、市庁舎の大評議会室の壁画競作を依頼されます。

ミケランジェロは《カッシーナの戦い》を描いていました。

教皇ユリウス2世が、ミケランジェロを呼んだので、壁画が完成することはありませんでした。

この壁画は残念ながら残っていませんが、上の絵、弟子の模写が残っています。

鶴の恩返しみたい

ユリウス2世から、自分の墓標を作って欲しいと依頼されます。

制作中は絶対見ないでと言ったのに、見に来た教皇に激怒したミケランジェロは、仕事を放り出してフィレンツェへ行ってしまいます。鶴の恩返しみたい。

ブチャラティと瀕死の奴隷

ミケランジェロ・ブオナローティ《瀕死の奴隷》1513-1516年

この作品も、教皇ユリウス2世の墓標に置くために作った作品のひとつです。

ちなみに、中断に次ぐ中断で、教皇の墓標は結局完成することはありませんでした。

ジョジョ5部、最終決戦後の話で、この《瀕死の奴隷》が登場しています。

このシーンの時、若い彫刻家スコリッピ(「スコリッピ」はイタリア語で「彫刻する」の意)が「どう彫るかは自分では決めていない、石自体がすでに彫るべき形を決めていて、私はそれを石の中から取り出しているだけ(要約)」と、

ミケランジェロの言葉を引用し、我々は「運命の奴隷」なんだと語る場面もありましたね。深い…

余談ですが、この話を見た後、公園を散歩していたら、似たような丸い石のオブジェをいくつも見つけて笑いました。(笑)

(※スコリッピは丸い石のスタンド使いです。)

システィーナ礼拝堂

ミケランジェロ・ブオナローティ《アダムの創造》1508-1512年

和解し、ローマに戻ってきたミケランジェロには新たな仕事、システィーナ礼拝堂の天井画と祭壇壁画の仕事を任されます。

上の絵は映画『E.T.』のモデルとしても有名ですね!


E.T. (字幕版)

システィーナ礼拝堂天井画の解説はこちら↓

ミケランジェロ・ブオナローティ《最後の審判》1541-1547年

この祭壇画、実はミケランジェロが描く前に、別の画家の絵が描かれていたんです…!

詳しい解説はこちら↓

神から愛された男

88歳で亡くなったミケランジェロの元に、多数の芸術家たちが弔問に駆けつけました。

ミケランジェロは生前、絵や彫刻だけでなく、建築や詩なども残しています。

まさに「万能の天才」です。

存命中から現代にいたるまで、非常に優れた芸術家として高い評価を得ている最強の芸術家です。

まとめ

ミケランジェロは、最強の画家であり彫刻家
・ミケランジェロの表現方法は、現代に至るまで幅広く影響を与えている