妻を一途に愛した愛の画家シャガールの生涯を超解説!

こんにちは!

今回は、愛の画家シャガールについてです。

早速見ていきましょう!

マルク・シャガール(1887-1985年)

マルク・シャガール《7本指の自画像》1912-1913年

マルク・シャガールは、ロシア出身のフランスの画家です。

ユダヤ人だと痛感し続ける

マルク・シャガール《スプーン1杯のミルク》1912年

帝政ロシア領(現ベラルーシ)ヴィテブスクで9人兄弟の長男として生まれます。

ヴィテブスクは人口の半分以上がユダヤ人、シャガール自身もユダヤ系でした。

父親はニシン売りで、重い樽を運んでいたそう。重労働…

そんな父親に敬意を表し、後年、絵の中にのモチーフをよく描きました。

母親は自宅で食料品を売っていました。

上の絵は、シャガールの両親が描かれています。

当時、ユダヤ人は差別されており、シャガールも幼い頃からず〜〜っとそのことを痛感していました。

当時のロシアでは、ユダヤ人の子供は普通の学校や大学に通えず、市内での移動すら制限されていました。

13歳のとき、母親がシャガールを「普通の」高校に入学させるために、校長に賄賂を渡して4年制の公立学校に入学することができました。

そこで彫刻家・画家のザッキンと仲良くなります。

余談ですがザッキンは、後に藤田嗣治と仲良くなって、日本の二科展にも出品していた親日家です。

美術の道へ

20歳のとき、当時の首都サンクトペテルブルクの画家ニコライ・リョーリフが学長を務める美術学校に入学するも、アカデミックな教育に満足出来ず…

21歳のとき、ペテルスブルクのユダヤ人の画家レオン・バクストの美術学校に入学します。

バクストは当時の、ロシア・バレエ団の衣装デザインなどを担当していた人物でした。

22歳のとき、後に妻となる裕福な宝石商の娘ベラ・ローゼンフェルトと出会います。

ベラもシャガールと同じくユダヤ系でした。

蜂の巣

マルク・シャガール《私と村》1911年

23歳のとき、パリへ行き、5年間滞在しました。

25歳のとき、共同アトリエ「ラ・リューシュ(蜂の巣)」に住みます。

そこで、スーチン、モディリアーニ、レジェ、アポリネールら住人と出会います。

シャガールは毒舌家で、同時代の画家や芸術活動をどこか見下していたそう。

屋根の上のバイオリン弾き

マルク・シャガール《バイオリン弾き》1912-1913年

ミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』は、この絵にインスピレーションを受けてこの題名を付けたそう。

シャガールの絵も、ミュージカルも、ローマ皇帝ネロがユダヤ人を大虐殺したとき、超然として屋根の上でバイオリンを弾く男がいたという故事からきています。

27歳のとき、個展のためベルリンへ行き、ロシア滞在中に第一次世界大戦が勃発します。

結婚

マルク・シャガール《誕生日》1915年

28歳のとき、母親が病気で亡くなります。

この年にベラ結婚します。

ベラのことをとても愛していたシャガールは、ベラへの愛や結婚をテーマにした作品を多数制作しています。

上の作品は、結婚式を半月後にひかえたシャガールが、自分の誕生日をベラと祝い、喜びのあまり宙に浮く自分の姿を描いたものです。

大切なこの作品を度重なる戦争で失うこと恐れたシャガールは、後に同じ作品をもう1枚描いています。

翌年長女イダが生まれます。

30歳のとき、ロシア革命後、レーニンによってヴィテブスクの美術指導役に任命されます。

後にマレーヴィッチに追い出されてしまいます。

36歳のとき、パリへ戻ります。

サーカス

マルク・シャガール《青いサーカス》1950年

40歳のとき、画商ヴォラールより「サーカス」をテーマにした連作を依頼されます。

シャガールはサーカスが大好きでした。

刊行は80歳のときでした。

ナチス

46歳のとき、ナチス・ドイツによって作品が数点焼却されてしまいます。

この頃、ユダヤ人大量虐殺の悲劇がテーマに表れます。

50歳のとき、フランス国籍を取得します。

愛する人の死

57歳のとき、ベラがウイルス感染により突然亡くなってしまいます。

戦時中で薬が不足し、治療を受けることができなかったからだといわれています…悲しい。

シャガールは深く悲しみ、半年間筆を置きました。

59歳のとき、ニューヨーク近代美術館で回顧展が開かれ、その後欧州各地を巡回しました。

64歳のとき、彫刻制作を始めました。

65歳のとき、ユダヤ人のヴァランティーヌ・ブロツキーと再婚します。

オペラ座の怪人

マルク・シャガール《夢の花束》1964年

77歳のとき、パリのオペラ座(オペラ・ガルニエ)天井画を制作します。

ここは、あの有名な『オペラ座の怪人』のモデルとなった場所です。

当時、シャガールが天井画を描くことに対してオペラ座のイメージと違いすぎると批判が殺到したそう。

しかし依頼した長年の友人であり良き理解者でもあった文化大臣マルローはシャガールのこの天井画を大絶賛しました。

上の写真は私が実際に行ったときに撮った写真です。

と〜〜っても素敵でした!圧巻!

ガルニエのレポはこちら↓

シャガール美術館

79歳のとき、フランス国家に17点の連作『聖書のメッセージ』を寄贈します。

シャガールは礼拝に行ったりするような信者ではありませんでしたが、深い信仰心を持っていました。

マルローはこの連作を含むシャガールの作品を展示するための国立美術館の建設を推進し、

シャガール86歳の誕生日に、「マルク・シャガール聖書のメッセージ国立美術館(現国立マルク・シャガール美術館)」が開館しました。

そして97歳で亡くなりました。

まとめ

シャガールは、幻想的で独特な色彩で愛する妻を描き続けた画家