こんにちは!
今回は、アルテミジア・ジェンティレスキ最大の代表作「ユディトとホロフェルネス」を解説します。
早速見ていきましょう!
ユディトとホロフェルネス
強い女「ユディト」

アルテミジア・ジェンティレスキ《ホロフェルネスの首を斬るユディト》1610年
アルテミジアの名を一躍高めたのが、旧約聖書の豪胆な女英雄ユディトを題材にした作品です。
彼女はユディトが敵将ホロフェルネスを討ち取る場面を生々しく描いた絵画をいくつか残しています。
ユディトは美女のユダヤ人寡婦、ホロフェルネスはアッシリア軍の将軍という設定ですが、アルテミジアの筆はこの物語を遠慮会釈なく凄惨なクライマックスとしてキャンバスに焼き付けました。
白い寝台を赤く染めてほとばしる血、もがくホロフェルネスを押さえ込む侍女、片手に剣・片手に髪を掴み真剣な表情で首を斬るユディト、その凄惨で迫力ある描写は、当時の宗教画の中でも際立っていました。
支払いトラブル

アルテミジア・ジェンティレスキ《ホロフェルネスの首を斬るユディト》1620年頃
上の絵の依頼主はメディチ公でしたが、1635年の書簡では、アルテミジアはガリレオに、この作品を含む大作の代金支払いについて大公に取り次ぐよう依頼していました。支払いについて何らかのトラブルがあったことが示唆されています。
なんでここまで写実的に描いたの?

アルテミジア・ジェンティレスキ《ユディトとその侍女》1618-1619年
アルテミジアがあえてそこまで写実的に血みどろの場面を描いた背景については、後世の研究者によって様々に論じられてきました。
一部の批評家たちは、これを「絵筆による復讐」だと解釈しています。
すなわち、自身が受けた過酷な体験(若き日の性的暴行)をキャンバス上で晴らしたのだ、というものです。
この事件の詳細についてはこちら↓
事実、ユディトが男を滅ぼすというテーマはアルテミジアの人生と重ね合わせやすく、彼女自身もしばしば強い女性像を絵に託しています。
強い女「アルテミジア」

アルテミジア・ジェンティレスキ《ユディトとその侍女》1623-1625年
しかし他方で、同時代の女性画家がほとんど手掛けなかった大画面の残酷な歴史画に挑戦したこと自体に、アルテミジアの野心と力量を見るべきだとの指摘もあります。

アルテミジア・ジェンティレスキ《ユディトとその侍女》1639-1640年
いずれにせよ、暗闇と光を強烈に対比させるカラヴァッジョ流(いわゆる明暗法)のドラマティックな画風と相まって、この『ユディトとホロフェルネス』の連作はアルテミジア最大の代表作として知られています。

アルテミジア・ジェンティレスキ《ユディトとその侍女》1645-1650年
その後彼女は物語の次の場面、ホロフェルネスの首を袋に入れて持ち去るユディトと侍女のシーンも描いており、こちらは暗殺直後の緊迫感を見事に表現したカラヴァッジョ風の傑作です。

アルテミジア・ジェンティレスキ《ユディトとその侍女》1645-1650年頃
画中のユディトは今まさに陣営から逃げ去ろうとする一瞬で、蝋燭の光に浮かぶ横顔からは張り詰めた空気が伝わってきます。
これら一連のユディト作品によって、アルテミジアは「女性の決意と力強さ」をこれ以上ない形で描き切ったと言えるでしょう。
父の絵を元に描いた

アルテミジア・ジェンティレスキ《ユディトとその侍女》1618-1619年
上の絵は、同じく画家だった父オラツィオ・ジェンティレスキが描いた↓の作品をもとにしています。

オラツィオ・ジェンティレスキ《ユディトとその侍女》1608-1612年頃
一応父の作品ということになっていますが、アルテミジアと共同で制作したのでは?という説もあります。
こうやって見比べると構図がそっくりですね。
番外編:クラーナハが描いたユディト↓