こんにちは!
今回は、アルチンボルドについてです。
早速見ていきましょう!
ジュゼッペ・アルチンボルド(1526-1593年)
ジュゼッペ・アルチンボルド《自画像》1570年
ジュゼッペ・アルチンボルドは、イタリアの画家です。
ミラノで画家の息子として生まれました。
23歳のとき、ステンドグラスのデザインを始め、ミラノのドゥオーモに作品を残しました。
ジュゼッペ・アルチンボルド、ジュゼッペ・メダ《生命の木》1556-1562年
30歳のとき、ジュゼッペ・メダと共にモンツァ大聖堂のフレスコ画を制作しました。
ジュゼッペ・アルチンボルド《聖母就寝》1558年
32歳のとき、コモ大聖堂の聖母マリアを描いたタペストリーのデザインを手がけました。
アルチンボルド といえば後半に出てくる奇抜な絵が有名ですが、このような普通の絵も描いていました(こちらはあまり評価されていませんが…)。
ジュゼッペ・アルチンボルド《ウェルトゥムヌスに扮するルドルフ2世》1590年
36歳のとき、ウィーンでフェルディナント1世の宮廷画家となり、後にその息子のマクシミリアン2世や孫にあたるルドルフ2世にも仕えました。
ジュゼッペ・アルチンボルド《司書》1566年頃
ルドルフ2世はこの風変わりな上の肖像画を大変気に入り、アルチンボルドに高い地位を与えました。
ジュゼッペ・アルチンボルド《春》1563年
ルドルフ2世は、政治的能力は全くありませんでしたが、教養人で、世界中から珍品を蒐集していました。
それらを今の博物館の前身であるクンストカンマー呼ばれるコレクションルームに飾っていました。
そんな彼だからこそ、アルチンボルドの絵を気に入ったのでしょう。
ジュゼッペ・アルチンボルド《夏》1563年
アルチンボルドは画家としてだけでなく、宮廷の装飾や衣装のデザインも手がけました。
ジュゼッペ・アルチンボルド《秋》1572年
また、祝典や馬場槍試合の企画、水力技師などで非凡な才能を発揮しました。
ハープシコードのような楽器も発明しました。
ジュゼッペ・アルチンボルド《冬》1563年
アルチンボルドが描いた伝統的な宗教画は現在では忘れ去られていますが、野菜や果物、木の根などで構成された独特の肖像画は、現在でも多くの人を魅了し続けています。
ジュゼッペ・アルチンボルド《大地》1566年
アルチンボルドの作風は謎やパズル、風変わりなものに魅了されていたルネサンス期を反映しています。
ジュゼッペ・アルチンボルド《水》1566年
ジュゼッペ・アルチンボルド《火》1566年
ジュゼッペ・アルチンボルド?《大気》1566年
67歳のとき、アルチンボルドはウィーンでの公務を引退した後、故郷のミラノで腎結石のため亡くなりました。
その後、1648年にスウェーデンがプラハを侵略した際、ルドルフ2世のコレクションから多くの作品が持ち去られました。
まとめ
・アルチンボルドは、野菜や果物で顔を描いた画家