こんにちは!
今回は、人気肖像画家だったのにいつまでも貧乏だったハルスを紹介します。
早速見ていきましょう!
フランス・ハルス(1582年頃-1666年)
《フランス・ハルスの自画像の複製画》1650年頃
フランス・ハルスは、オランダの画家です。
1582〜1583年頃アントワープで生まれます。
遅いデビュー
16世紀後半のアントワープは、カトリックを拡大しようとするスペインとの戦いの拠点になっていたこともあり、
ハルス家は、新しい職を求めてハールレムへ引っ越しました。
ハールレムでは弟が生まれました。
弟も後に画家になっています。
ハールレムにある、画家カレル・ファン・マンデルらが設立した美術学校でマンデルに教わったとされています。
しかし、北ヨーロッパの画家伝を残したマンデルですが、彼の著書にハルスの記述はありませんでした。
28歳のとき、やっとハールレムの聖ルカ画家組合に親方として登録されました。
結婚と別れ
アネッチェ・ハルマンスドホテルと結婚し、2人の子供が生まれました。
33歳のとき、結婚5年でアネッチェが亡くなりますが、貧乏だったため、貧民の共同墓地に埋葬することに…。
集団肖像画
フランス・ハルス《聖ゲオルギウス市民隊の幹部たちの宴会》1616年
34歳のとき、ハールレム市警備隊の依頼で、上の集団肖像画を制作します。
この頃には、画家としての評判は高まっていました。
養育費滞納
34歳のとき、留守中に養育費滞納で裁判所から召喚状が届きました。
これは、ハルスの母親が支払ってなんとかなったそう…。
子だくさん
35歳のとき、リスベート・レイニールスと再婚し、なんと12人も子供が生まれ、経済的に貧窮しました。
14人の子供のうち、5人が後に画家となっています。
売れっ子だけどいつまでも貧乏
38歳のときには、注文をかかえ、人気の肖像画家になりましたが、生活は苦しいまま…。
フランス・ハルス《庭園の夫婦》1622年頃
フランス・ハルス《陽気な酒飲み》1628-1630年
肖像画といえば無表情が普通ななか、ハルスは人々の生き生きとした表情をとらえ、笑っている人物画を多く描いたことでも有名です。
フランス・ハルス《ジプシー女》1628年頃
49歳のとき、家賃滞納、靴代未払いで訴えられます。
後世の画家に影響を与えた
フランス・ハルス《マッレ・バッベ》1633年頃
ジョッキ片手に酔っ払っている老女が描かれています。
当時からこの絵はとても人気で、複数のコピーが描かれています。
19世紀のリアリスムの画家クールベも、この絵にものすごく衝撃を受けたそう。
ハルスの絵には、モネなど印象派の画家も影響を受けています。
生活苦
54歳のとき、アムステルダム市警備隊からの依頼で集団肖像画を制作しますが、途中で放棄します。
72歳のとき、パン代未払いで、パン屋に家財を押収されます。
79歳のとき、聖ルカ画家組合の組合費が免除されます。
81歳のとき、市に生活補助願いを提出し、亡くなるまでの4年間、150〜200フルデンが支給されました。
82歳のとき、市から泥炭を支給されました。
そして84歳で亡くなりました。
まとめ
・ハルスは、肖像画家として名声を得ていたのに、最後まで超貧乏だった