こんにちは!
今回は、ボテロについてです。
早速見ていきましょう!
フェルナンド・ボテロ(1932〜)
フェルナンド・ボテロ《ベラスケスとしての自画像》1986年
フェルナンド・ボテロは、コロンビアの画家・彫刻家です。
人間や動物をふくよかな体型で表現しているのが特徴です。
芸術に飢えていた
コロンビアのメデリンで、3人兄弟の次男として生まれました。
4歳のとき、父親が心臓発作で急死してしまい、叔父が一家を援助しました。
子供時代は、美術館などの芸術とは無関係な環境で育ちました。
当時のボテロにとっての唯一ともいえる芸術は、通っていた教会で見た、陶磁器のようになめらかで美しい聖母の彫刻でした。
この像に心奪われ、美である芸術を生み出したいと思うようになりました。
この強い思いは、もし芸術であふれたパリに生まれていたら、あまりにもどこにでもそれがあって飽きてしまい、美を作り出したいと思うことはなかっただろうと、後に彼は語っています。
闘牛士の学校でトラウマに
フェルナンド・ボテロ《ルイス・シャレーの死》1984年
12歳から2年間、闘牛の熱狂的ファンだった叔父の勧めで、闘牛士の学校へ通いました。
しかし、ボテロはこのせいで雄牛がトラウマになりました…。
フェルナンド・ボテロ《引きずる》1984年
しかし、牛に恐怖を感じつつも、闘牛の世界には魅了され続けていたようで、彼の初期の絵は、闘牛士と雄牛が主な主題となり、50歳頃にも同じく闘牛をテーマに絵を描きました。
着々とステップアップ
フェルナンド・ボテロ《泣く女》1949年
16歳のとき、コロンビアで有名な新聞「エルコロンビアーノ」に初めてイラストが掲載されました。
彼はこの新聞の挿絵画家としての収入を使って、高校に通いました。
またこの年、この地域の他のアーティストと共同での出品でしたが、初めて展覧会で絵が飾られました。
この頃、リベラやシケイロスなどのメキシコ壁画運動家の作品や、ピカソの作品に影響を受けました。
17歳のとき、舞台美術の仕事を始めました。
19歳のとき、コロンビアの首都ボゴタに移り、初の個展が開催されました。
巨匠の作品を勉強
フェルナンド・ボテロ《ココナッツ》1952年
20歳のとき、芸術家仲間とバルセロナへ旅行し、マドリードへ移りました。
マドリードでは、王立サン・フェルナンド美術アカデミーで学びました。
プラド美術館に行き、ベラスケスやゴヤなどスペインの巨匠の作品を研究しました。
21歳のとき、パリに移り、ほとんどの時間をルーヴル美術館で過ごし、作品の研究をしました。
その後、22歳までイタリアのフィレンツェに住み、フレスコ画の技法など学び、ジョットなどルネサンスの巨匠の作品を研究しました。
全く売れない
23歳のとき、ボゴタに戻り、20点の絵画を展示するも、全く売れず、批評家からも強く非難され、大失敗に終わります。
そこで生きるために、一時的にタイヤのセールスマンとして働き、その後、出版物の挿絵を描いて生計を立てていました。
グロリア・ゼアと結婚しました。
24歳のとき、メキシコに移り、長男のフェルナンドが生まれました。
ふくよかな絵の誕生
フェルナンド・ボテロ《12歳のモナ・リザ》1959年
25歳のとき、初めて絵のモデルを「ふっくら」とボリュームを誇張するスタイルで描きました。
モデルと書きましたが、ボテロは特定のモデルを使ったり、机の上に何かを置いて描いたりはしていないそうで、全て想像で描いていると語っています。
その後、だんだんと評価が高まっていきました。
26歳のとき、娘のリナが生まれました。
28歳のとき、次男のフアン・カルロスが生まれました。
しかし、この年、離婚しました。
この頃から14年間、ニューヨークに住みました。
31歳頃から、彫刻を作り始めました。
フェルナンド・ボテロ《教皇レオ10世(ラファエロの後)》1964年
32歳のときセシリア・サンブラーノと結婚し、43歳のとき離婚しました。
フェルナンド・ボテロ《ルーベンスと彼の妻》1965年
ボテロは、ルーベンスや、デューラー、マネの絵などからも影響を受け、作品を制作しています。
フェルナンド・ボテロ《大統領家族》1967年
最愛の息子の事故死
フェルナンド・ボテロ《馬に乗ったペドロ》1974年
38歳のとき、息子ペドロが生まれ、彼のインスピレーションの源となり、絵画を制作しました。
42歳のとき、ボテロと4歳のペドロは交通事故に遭い、ペドロは死亡、ボテロは重傷を負いました。
この悲劇から、ボテロは、亡くなった息子を偲んで多くの作品を制作しました。
彫刻に専念
44歳から45歳の間は、彫刻の制作に専念し、25点の作品を制作しました。
フェルナンド・ボテロ《ソフィアとの自画像》1986年
45歳のとき、画家で彫刻家のソフェア・ヴァリと結婚しました。
フェルナンド・ボテロ《モナ・リザ》1978年
フェルナンド・ボテロ《アルノルフィーニ夫婦の後(2)》1978年
フェルナンド・ボテロ《コロンビアで踊る》1980年
フェルナンド・ボテロ《カップルダンス》1987年
フェルナンド・ボテロ《研究》1990年
フェルナンド・ボテロ《アイスクリームのある静物》1990年
現在
フェルナンド・ボテロ《バーレッスン中のバレリーナ》2001年
ここ数十年はパリに定住し、年に1ヶ月間だけ故郷のメデリンで過ごしているそう。
ボテロは、世界中の主要都市で50以上の展覧会を開催しています。
現在もボテロは、新たな作品を制作し続けています。
まとめ
・ボテロは、「ふくよか」さが作品のトレードマーク