バレリーナは娼婦?踊り子の画家ドガが描いたバレエ作品を一挙紹介!

こんにちは!

今回は、踊り子の画家ドガが描いたバレエ作品を紹介します。

早速見ていきましょう!

ドガとバレエ

作品の半分以上がバレエ

ドガといえば何といってもバレエです。

彫刻含むドガの作品半分以上が、バレエに関するものだったりします。

というのも、バレエの作品はよく売れたので、収入を得るためにたくさん制作したという面もあります。

音楽と劇場を愛した父親の遺伝子を受け継いだドガは、オペラ座の定期会員でもあり、毎週のようにバレリーナの動きと美しい衣装を観るためにオペラ座に約10年間通い詰めました。

そんなドガは、 踊りで揺れる衣装の雰囲気まで表現できたし、舞台はもとより稽古場までも主題にしました。(特別待遇でいつでも劇場のどこにでも出入り可能だった)

彼は、ステージ上での踊り子よりも、舞台裏やリハーサルなど、踊り子たちのプライベートな瞬間をよく描きました。

その場で描いた絵ではない

ドガは他の印象派の仲間たちと違い、その場で制作することは決してありませんでした。

数少ない風景画でさえ、ドガは戸外制作をしませんでした。

たくさんの踊り子が描かれた稽古場の情景もアトリエで踊り子にポーズをとってもらい、そして記憶や印象に残ったものを膨大なデッサンに再現し、緻密な計算のもとに構図を組み立てて制作しました。

「現代生活の古典画家」らしく、その制作手法も古典的でした。

後に1890年代になるとアメリカで印象派人気に火がつきました。

そして、一番人気のモネに次いで人気があったのがドガでした。

特に、バレエを主題にした作品の人気が高く、当時、まだフランスに対する文化コンプレックスの強かったアメリカ人は、自宅にバレエを主題にした絵画を掛けることによって、自分たちが文化的に見られるだろうと考えたのでした。

かつて第二帝政時代のフランスでも、新興プルジョワジーがクールベの狩猟画を自宅に掛けることによって、王侯貴族の趣味だった狩猟がいかにも長年の自分たちの趣味でもあるかのように見せようとしたことと同じです。

 しかしアメリカ人の思い込みと違い、ドガの描いた当時のバレエの世界は上品な世界からは懸け離れたものでした。

バレリーナは娼婦?

特に第三共和政以降のフランスのバレエの質の低下は著しく、芸術としてのバレエの都はロシアへ移り、フランスのバレエはオペラの単なる添え物に成り下がり、成金男性がバレリーナを愛人にすべく「品定め」に来るような催しに成り果てていました。

男たちもバレリーナを見るために来ていたのであって、バレエ自体はどうでもよかったのです。

踊りのうまさは二の次で、美しさのほうが重視されました。

当時のバレリーナは、娼婦的な側面が強く、脚を出すなんてハレンチすぎる!絶対にロングスカートという時代に露出度の高い衣装を着て踊りました。

全てはお金持ちのパトロンをつかまえるためです。

なので必然的に身分の低い貧しい少女たちがバレリーナになりました。

現在のように芸術性を高く評価され、お金持ちの子が習うイメージとは違います。

当時、女性が仕事をするということ自体、軽蔑されていました。

そもそも仕事がほとんどなく、あったとしても低賃金、女性が1人で生きていくというのは非常に厳しい時代でした。

オペラ歌手ですら、娼婦と紙一重だと思われていた時代、オペラの添え物でしかなかったバレエの踊り子の立場は…。

貧しい生活を脱出したい、もっといい暮らしがしたい彼女たちと、少女を買いたいお金持ちの男性の利害が一致すると、そのバレリーナは主役をもらえたり、衣装や生活費を援助してもらうことができます。

気に入った踊り子のためなら劇場側へ演目の変更も平気で要求しました。

当時は階級意識が強く、ブルジョワな彼らは、労働者階級の彼女たちに対して偏見を持ち、完全に見下していました。

ドガもブルジョワなので、彼らと同じように偏見を持ちながら(そしてそれを差別だとも思わず、ごく日常的なものとして)彼女たちを描いていたのでしょう。

ちなみにドガはオペラ座に通っていましたが、少女のパトロンになったりはしていません。基本的には女嫌いでした。

踊り子の顔が醜い

パッと見バレリーナの絵なので可愛い感じがするのですが、彼女たちの顔を見れば見るほど「あれ…」ってなるんですよね。

これ、踊り子に美人がいなかったわけではなくて、上で言ったようなドガの偏見から、あえて顔をブサイクに描いたのでは?と考えられています。

醜く描くことで「労働者階級」の顔だと示しているともいわれています。

観相学が再ブームとなった時代だったことと、ドガが人相と犯罪の関係性について研究していたのは間違いないので、ありえないことではないでしょう。

富を蓄えた新興ブルジョワジーにとって、下層階級の人間は潜在的な犯罪者であり、いつ自分たちの地位財産を脅かすか知れたものではなく、そのことは動物的な顔にはっきりあらわれている、という考えです。

真相はわかりませんが、どの踊り子も特徴がなく、無個性なことから、個人を描きたかったのではなくて、大好きな馬と同じように、その動きに興味があったんだろうとは思います。

ドガが描いた踊り子

《オペラ座のオーケストラ》1870年

中央でフレンチ・バソンを演奏しているのがデジレ・ディオー、

左でチェロを演奏しているのがピレ。

ドガは、オペラ座の管弦楽団員である彼らと友人だったため、彼らの紹介でオペラ座に通うようになりました。

《ダンス教室》1870年頃

《バレエ教室》1871-1874年頃

踊り子を指導しているのは、ドガの友人であり、元バレエダンサーで振付師のジュール・ペローです。

《ホワイエでのダンスのリハーサル》1872年頃

《ル・ペレティエ通りのオペラ座のバレエ教室》1872年

《オーケストラ席の音楽家たち》1872年

元々横長の作品で、踊り子は下半身しか描かれていませんでした。

演奏者メインだった作品に、上部を追加することによって踊り子たちのいるステージにも焦点を当てた作品に変わっています。

《3人の踊り子》1873年

《バレエ教室)1873年

《リハーサル》1873-1878年

エドガー・ドガ《バレエ教室》1874年

先ほどと同じくジュール・ペローが指導しています。

後ろの方では踊り子とその母親たちが描かれています。

《バレエの舞台稽古》1874年頃

舞台袖に椅子を持ち出してどっかり座り、リハーサルを見まもるシルクハットの紳士が描かれています。

もちろんバレエが好きな人…というわけではなく、踊り子のパトロンでしょう。

《舞台上でのバレエの稽古》1874年

《舞台の2人の踊り子》1874年

この2人の踊り子、なんとこの絵の上2つの中にも登場しています。

同じポーズですね〜!

《リハーサル》1874年頃

《エトワール》1876年

ドガの踊り子の絵で1番有名で人気のある作品かもしれませんね!

エトワールというのはスターという意味です。

パリ・オペラ座のバレエの階級は5つあり、一番上が「エトワール」(プリマドンナ)です。

この絵は、オペラ座の座席で、2番目にステイタスの高い、舞台に1番違い桟敷席(舞台上手または下手のほとんど真上に位置している席)からの視点で描かれているため、踊り子を上から見下ろすように描いています。

ここは舞台の全体が見にくく、書割の奥まで見え、次の出番を待つ踊り子たちに混じっている黒服のパトロンの姿まで丸見えで、芝居における夢の効果をぶち壊すような席でした。

なぜここが貴賓席かというと、そもそもここは見る席ではなく、自分を見せる席でした。

ここに座れば、出演者たち以上に目立つことができ、人々から嫉妬と羨望をこめた目で見つめられ、オペラグラスを向けられました。

《スター》1876-1878年

《楽屋の踊り子》1876-1883年

黒い服はパトロンですね。誰のパトロンなんでしょうか…。

《アラベスクの終わり》1876年

《ステージ上のダンサー》1877年頃

《緑の踊り子》1877-1879年

《バールで練習する踊り子》1877年

左にあるじょうろは、バレリーナが踊るときにホコリが舞わないよう、床に水をかけるために、練習場に常備されていたものでした。

このじょうろと右の踊り子の形が似ているのがまた面白い。

《パリオペラ座でのバレエ》1877年

《踊り子》1877年

《オールドオペラハウスの踊り子》1877年

《クラスの準備》1877年頃

黒い服は付き添いの母親です。

抱きついているのかわいい。

《クラスの準備をしている3人の踊り子》1878年頃

《花束を持った踊り子》1878年

《楽屋の踊り子》1879年

《バレエ教室》1879年

《ダンスレッスン》1879年頃

この絵を、画家カイユボットが購入、後にルノワールに遺贈しました。

《ダンスの試験》1880年

《バレエ教室》1880-1881年

バレエ教師が踊り子たちを指導し、彼女たちの母親が前景で読書をしています。

立派なバレリーナになるように(そして貧困から抜け出し、より良い暮らしのために)、母親は7、8歳になったら娘をバレエ教室に通わせていました。

《踊り子》1880年頃

《バレエ》1880年

《カーテン》1880年

パ…パトロンだらけ…笑

《座っている踊り子》1881-1883年

《待合室》1882年頃

踊り子は足をマッサージしています。

付き添いの女性は彼女の母親でしょうか。

オーディションまたは、その結果を待っているシーンです。

《桟敷席》1883年

《緑の踊り子》1883年頃

《踊り子》1884-1885年

休憩中の踊り子たちが描かれています。

《階段を上がる踊り子》1886-1890年

《踊り子》1888年頃

《踊り子》1888年

《踊り子》1889年

《舞台上の踊り子》1889年頃

リハーサル中の風景を描いています。

《ピンクと緑の踊り子》1890年頃

右の方に、トップハットをかぶったパトロンの影が見えます…。

《踊り子》1890-1900年

《踊りの前》1890-1892年

《緑の踊り子》1896年頃

足をマッサージしています。

《休憩中の踊り子》1898年頃

《ベンチの踊り子》1898年頃

《4人の踊り子》1899年

《赤の踊り子》1900年頃

《3人の踊り子》1900-1905年

《踊り子》1905年

《バレエシーン》1907年