写真の登場で画家にどんな変化をもたらしたの?超解説!

こんにちは!

今回は、写真の登場が画家にどんな変化をもたらしたかについてです。

早速見ていきましょう!

写真技術の登場

カメラの前身はフェルメールが愛用していた?

手持ち式カメラ・オブスクーラの使い方のイラスト 1850年頃

カメラの原理自体は昔から知られており、フェルメール作品の遠近法があまりに正確であることから、「カメラ・オブスクーラ (カメラ・オブスキュラ、暗箱)」を使用して絵を描いていたと推測されています。

カメラ・オブスキュラはカメラの原型で、箱に小さな穴を空けて暗い内部に光を当て、外側の光景を反転した画像として内側に映し出す装置です。

フェルメールはこの画像をなぞったのではないかといわれています。

手持ちカメラの登場

手持ちカメラは1839年に発明され、みるみるうちに改良されていきました。

最初は感光度が低く、露出時間も20分近くかかりましたが、まもなく九十秒から三十秒にまで短縮され、画材と同じくコンパクトにもなって、素人でも撮影可能になりました。

ドガ撮影 マラルメとルノワール 1895年

ゾラやドガがカメラに夢中になっています。

カメラは動く対象も捉えて絵画表現を試みますが、手ぶれをおこしたり、フレームからはみ出たり、今まで見實れない角度になったりしました。

そうやって写ったものは、しかしこれまでに無かった実に新鮮な視覚だったため、印象派の画家たちに大きなインスピレーションを与えました。

写真と絵は双方で影響しあっていました。

ドガが夢中に

エドワード・マイブリッジ 疾走中の馬の連続写真

ドガは、馬の連続写真撮影に成功したマイブリッジから写真術を学びました。

エドガー・ドガ《競馬場、馬車の近くにいるアマチュア騎手》1876-1887年

上の絵を見ると、画面端の処理の明らかな写真表現に気づきます。

馬や馬車、人が枠におさまっていません。

ドガは踊り子の絵でもよくこの手法を使い、斬新な動きのイメージを醸し出しています。

印象派とも関係の深いナダール

オノレ・ドーミエ《写真術を芸術の高みにまでひきあげるナダール》1862年

この頃フランスでもっとも有名な写真家といえばナダールで、クレマンソー、デュマ、サラ・ベルナール、リスト、クールベ、ドラクロワ、ボードレールなど、多くの著名人を撮りました。

気球に乗って撮影した、世界初の空撮カメラマンでもあり、ドーミエがその様子を戯画化しています。

ナダールはまた若い無名の画家たちに、自分の撮影スタジオを展覧会場として貸しまし た。

それが第1回印象派展でした。 

写真は絵画の敵か味方か

ナダールのような突出した写真家の作品は別として、当初の肖像写真の多くが絵画の模倣でした。

そのため人々は、画家に描いてもらうより完成も早いし安いと写真に殺到し、 肖像画家は深刻な打撃を受けました。

アカデミー新古典派の大家アングルが、政府に写真禁止を要したほどでした。

とはいえ、本人は写真を使って描いていたようです…。

写真に衝撃を受けたのは、肖像画家たちだけではありません。

目に見えるそのままを映すカメラがあるのになお絵を描く、というからには、見る者を深く納得させるプラス・アルファがなくてはならない。 

遠近法や明暗法による写実技法で「生きているみたい」に見せかけたところで、写真に負けてしまいます。

アカデミー派も印象派も真剣に道を模索し、それがかえって絵画の質を高めたともいえます。

グーテンベルクの印刷機ができる前、聖書は修道僧たちが手書きで写していました。

大量に本が出回るようになって、写本はゴミ箱へ捨てられたかというとそうではありません。

手書き独特の美を持つ一点ものとして、いっそう稀少価値を上げました。 

絵もこれと全く同じで、傑作は残りました。