こんにちは!
今回は、シャガールが一途に愛した妻ベラについてです。
早速見ていきましょう!
ベラ・ローゼンフェルト(1895-1944年)
ベラ・ローゼンフェルトは、シャガールと同じく帝政ロシア領(現ベラルーシ)ヴィテブスクで生まれました。
シャガールもベラもユダヤ系です。
家は裕福な宝石商でした。
なので、シャガールとは身分違いの恋、2人はベラの両親の反対を押し切って、ベラ20歳、シャガール28歳のときに結婚しています。
翌年長女イダが生まれています。
シャガールはベラのことを一途に愛し、数多くの絵の中にベラを登場させています。
しかし、1944年、48歳という若さで、ベラはウイルス感染により突然亡くなってしまいます。
戦時中で薬が不足し、治療を受けることができなかったからだそう。
シャガールは深く悲しみ、半年間以上筆を置きました。
その後シャガールは新しい恋をし、再婚もしていますが、ベラのことが忘れられなかったのでしょうか、ベラは絵の中に登場し続けました。
シャガールが描いたベラ
マルク・シャガール《誕生日》1915年
2人が結婚する数週間前に描かれた幸せいっぱいな作品です。
シャガールの浮かれ具合がすごい。(笑顔)
《緑の恋人たち》1916-1917年
《灰色の恋人》1916-1917年
《白い襟のベラ》1917年
この写真からこの作品を制作しました。
ベラの下には、シャガールと娘イダが小さく描き込まれています。
《ワイングラスを掲げる二人の肖像》1917-1918年
《散歩》1917-1918年
シャガールが嬉しそうで幸せそうでなにより。(笑顔)
《街の上で》1918年
2人の故郷ヴィテブスクの町の上を飛んでいます。
《緑衣のベラ》1934-1935年
《ウェディングライト》1945年
1944年、ベラが感染症で亡くなった後、シャガールは半年間以上絵を描くことはありませんでした。
深い悲しみから立ち上がったシャガールがまず最初に取り組んだのは、ベラが残していた手記「ともしび」と「出会い」に、挿絵を描きました。
この手記には、もう使うことがなくなったイディッシュ語(ヴィテプスクのユダヤ人の間で使われていた言葉)で、ユダヤの習慣、家族の愛、故郷への思いが書き残してありました。
上の絵は、「ともしび」をイメージして描いたものですが、主にはシャガールとベラの結婚を描いています。
《窓際の花束》1959-1960年
絵の中の恋人たちはシャガールと2番目の妻ヴァランティーヌ・ブロツキーです。
ベラはというと、幽霊のような白い姿で左側に描き込まれています。(ベラは1944年に亡くなっています)