こんにちは!
今回は、クールベの問題作《オルナンの埋葬》を解説します。
早速見ていきましょう!
オルナンの埋葬
ギュスターヴ・クールベ《オルナンの埋葬》1849-1850年
クールベの故郷オルナンの葬儀の様子を描いています。
オルナンはクールベの故郷
スイスに近いフランス東部にあるオルナンは、石灰岩の岩山、ジュラ山脈に囲まれた山間の町です。
オルナンにあるクールベの生家は、現在はクールベ美術館となっています。
誰のお葬式?
オルナンの農民の葬儀が描かれています。
偉い人ではなく「一般の名も無き人」だというのがこの絵のポイントです。
身分を無視して平等に描いた
総勢50人ほどの参列者、聖職者や親戚など全ての人々を、社会的身分を無視して平等に描いています。
これは当時、とても革新的なことでした。
登場人物
絵のモデルになったのは、実在のオルナンの住民たちで、クールベがアトリエで一人ずつポーズをとるように頼み描きました。
右側に女性、左側に男性を描いていますが、これは教会内で男女が分かれて座る位置と同じです。
司祭が、聖務日課書を読んでいます。
司祭の後ろにいる聖具室係の男性が持っているのは、司祭が儀式の時に使用する杖です。
右が判事、左がオルナン市長です。
一番左に、この作品を描く少し前に亡くなったクールベの祖父が描かれています。
実在するものしか描かない写実主義のクールベが、祖父を描き込んでいるところから、亡くなった祖父への敬意を捧げていることがわかります。
右前列の一番左はクールベの母親、隣3人はクールベの姉妹です。
何が問題だったのか
1850年のサロンで発表したときのタイトル《オルナンにおけるある埋葬の歴史画》からもわかるように、これは「歴史画」だとクールベが主張したことが問題でした。
というのも、当時、大画面で描いて良いのは、高尚な主題を描く歴史画など限られた主題のみでした。
この絵は、縦3メートル、横6メートル以上あります。
一介の農民の葬儀という風俗画を、そういった「歴史画」と同じ大きなサイズで描き、さらに描かれている農民たちも全く理想化されていなかったことから問題になりました。
その後のパリ万博では、この作品の出品が拒否され、博覧会場のすぐそばで個展を開いた話は有名ですね。(これが世界初の個展といわれています)