こんにちは!
今回は、ゴッホの自画像についてです。
早速見ていきましょう!
ゴッホの自画像
ゴッホは、43枚を超える自画像を、晩年の3年間で描きました。
なぜこんなにも多くの自画像を描いたのかというと、モデルを雇うお金がなく、自画像を練習すれば他人の肖像画も上手く描けるようになると思ったからです。
パリ移住以前の自画像がないのは、像が映るほどの大きな鏡を持っていなかったためだと考えられています。
今回は、自画像35枚を紹介します!
フィンセント・ファン・ゴッホ《画家としての自画像》1886年9-11月
ゴッホが描いた最初の自画像であり、画家として自分自身を描いた最初の肖像画です。
《自画像》1886年3-6月
一度で描きあげた肖像画です。
くすんで暗く見えるのは色褪せてしまったからで、出来上がった当初はもっと明るい色でした。
《パイプを吸う自画像》1886年9-11月
ゴッホはパリに滞在していた2年間で、24枚以上自画像を描きました。
尊敬していた画家モンティセリ風に描いています。
《フェルト帽子の自画像》1886年12月-1887年1月
ゴッホは、黒いフェルト帽子にオーバーコート、ネクタイ(クラバット)を身につけ、立派な紳士のような格好をしています。
X線調査によって、別の絵の上に描かれていることがわかっています。
コルモンの画塾に通っていたとき、裸婦のスケッチを描いており、その上に自画像を描きました。
というのも貧乏画家あるあるで、キャンバス代の節約のためです。
《自画像》1887年
《自画像》1887年
《ガラスの自画像》1887年1月
ワインのようなものが入ったグラスを持っています。
パリに出てきたゴッホは、バーに通い、お酒を飲むのが習慣でした。(飲み過ぎの自覚あり)
この絵もX線調査で裸婦のスケッチの上に描かれていることがわかっています。
《自画像》1887年
《自画像》1887年3-6月
約19×14センチと、これまでに作成した油彩のなかでも最小のひとつです。
この絵も退色しており、もともとは顔の部分がカラフルでした。
《自画像》1887年3-6月
段ボールに描かれています。
背景はもともと紫(赤と青が混ざったもの)でしたが、赤色が退色し、透明になってしまっています。
《自画像》1887年1-6月
《自画像》1887年1-6月
《自画像》1887年4-6月
《自画像》1887年7-8月
この絵も裏に別の絵が描かれています。
《自画像》1887年7-8月
ゴッホはこの自画像を多数の青で描いており、白目の部分すら青くしています。
以前描いた静物画の裏面に描いています。
《自画像》1887年7-8月
着ている青いスモックは、絵を描くときにいつも着ていたものでした。
キャンバス代節約のため、以前制作した《ジャガイモを食べる人々》の研究の裏に、この肖像画を描きました。
《麦わら帽子の自画像》1887年7-8月
以前描いた静物画の裏に描いています。
《自画像》1887年
荒い点描で描かれた背景から、新印象主義から得た最新の技法に意欲的に取り組んでいたことがわかります。
対照的に、細やかで丁寧に置かれているのが赤と緑、青とオレンジといった補色を対比したハッチング(影を描くときの斜線)のような筆跡です。
麦わら帽子の色彩との対比が鮮やかな青いスモックには、指で描かれた跡も残っています。
この絵は、アメリカの美術館が初めて入手したゴッホ作品でした。
《麦わら帽子とパイプの自画像》1887年7-8月
ゴッホは、良い仕事をするにはパイプを吸って心を落ち着かせることが大切だと考えていました。
《麦わら帽子の自画像》1887年8-9月
キャンバス代節約のため、段ボールに描いています。
背景の紫色が色褪せてしまい青色になっています。
《テオの肖像または自画像》1887年夏
この絵は、ゴッホの自画像だと長い間考えられていましたが、顔の特徴から弟のテオかもしれない…ということで二重のタイトルになっています。
《自画像》1887年
《自画像》1887年夏
エレガントなスーツとフェルト帽子を身につけ、立派なブルジョワのような格好をしています。
ゴッホの目の色は緑でしたが、背景に合わせて水色に変えています。
《パイプと麦わら帽子の自画像》1887年9-10月
モデルを雇うのは高価だったため、肖像画を描く練習として、鏡を買い、自画像を描いていました。
《灰色のフェルト帽子の自画像》1887年9-10月
ゴッホが点描の技法を試していたときの作品で、補色を並べて配置しています。
こちらも同じく紫色から赤色が退色してしまい、青色になっています。
《日本の版画のある自画像》1887年12月
《自画像》1887年
《麦わら帽子をかぶった自画像》1887年冬-1888年
以前制作した《ポテトピーラー》の裏に、この肖像画を描きました。
《ポテトピーラー》1885年
《画家としての自画像》1887年12月-1888年2月
ゴッホの持っているパレットには、ゴッホが好んで使った赤と緑、黄と紫、青とオレンジの補色のペアが示されています。
当時最新の技法だったスーラやシニャックの点描技法を自分なりに描いた作品でした。
この自画像は、ゴッホがパリで制作した最後の作品でした。
フィンセント・ファン・ゴッホ《自画像)1888年
日本が大好きだったゴッホは、日本の精神文化の象徴「僧侶」としての自分を描いています。
《自画像》1888年11-12月
フィンセント・ファン・ゴッホ《包帯をした自画像》1889年1月
耳切り事件の後に描いた自画像です。
フィンセント・ファン・ゴッホ《包帯をしてパイプをくわえた自画像》1889年1月
《自画像》1889年
《自画像》1889年
うねうねした背景は、アラベスク模様のようでもあり、強烈な幻覚を見せられているかのような印象を与えています。
フィンセント・ファン・ゴッホ《ひげのない自画像》1889年
ゴッホは数多くの自画像を描きましたが、これが最後の作品だとされています。
母親への誕生日プレゼントとして贈った作品でした。