こんにちは!
今回は、サージェントの《マダムX》を解説します。
早速見ていきましょう!
マダムX
ジョン・シンガー・サージェント《マダムX(ピエール・ゴートロー夫人)》1883-1884年
サージェント28歳のとき、パリのサロンに出品した上の肖像画がスキャンダルに…。
この肖像画は当初《…夫人の肖像》という題名で発表し、後に《マダムX》に変更した作品でしたが、当時の人が見れば、誰が描かれているのかは一目瞭然でした。
元々胡散臭いと思われていた
モデルは、アメリカ出身で、フランス人銀行家のピエール・ゴートローと結婚したヴィルジニー・ゴートロー夫人です。
注文ではなく、彼女の人気にあやかりたかったサージェントが、お願いにお願いして描かせてもらった肖像画でした。(このときサージェント26歳、ゴートロー夫人23歳)
彼女の父親は南北戦争で戦死、母親はフランスの貴族でした。
母親と姉と一緒に、アメリカからパリへ渡り、社交界デビューしました。
しかしパリの貴族たちは、由緒正しい経歴の自分たちに比べて、アメリカ人は胡散臭い(アメリカ人は誰もが数代前は貴族だと言ったため)と見下していました。
彼女もそう思われており、富豪のフランス人銀行家ゴートローと結婚し、地位を得たことを快く思わない人々に妬まれることもしばしばありました。
卑猥〜!
サロンで発表されると、人妻を描いたものとしてはあまりにも官能的であり品がない、娼婦のようだとして、当時の批評家から非難されてしまいました。
すぐにヴィルジニーの母親がサージェントの元に来て、「娘の評判が台無しだ、すぐにこの絵を取り下げて、この絵は引き取らない」と言いました。
何が問題だったのか
この絵、どこがそんなに問題だったのでしょうか?
ぱっと見、黒いドレスを着たキレイな女性がポーズを取っている絵ですよね。
実は、修正後の絵なんです!
Left: The painting as it appeared at the Salon of 1884, with the right strap fallen over the shoulder. Right: A photograph of Sargent’s studio from 1885 shows an adjustment to the right strap, as it is today.
当時サロンに出品したときは、右肩の金鎖型肩紐が上腕部にまで滑り落ちていました。(上の写真左、右はアトリエで肩紐を直した後の写真)
それはヨーロッパの上流階級の人々の感覚としては、信じられないものでした。
しかしサージェントはむしろ魅力を増幅させると思っており、ゴートロー夫人もそう描くことを許可していました。
これが裏目に出てしまいます。
《ゴートロー夫人の研究》1884年頃
肩紐をずらして描くことによって、彼女は上流階級ではなくて、「プロフェッショナル・ビューティ」(高級娼婦的な女性)だと世間に思われてしまいました。
サージェントは、肩紐を描き直し、作品全体がオーソドックスに見えるように、出来る限りタッチを消して、アカデミックな手法へ近づけましたが時すでに遅し…
人々の目には最初の絵が焼きついており、モデルの名誉を傷つけてしまったため、作品を売ることもできず、この騒ぎに嫌気がさして、パリからロンドンへ拠点を移しました。
その後肖像画家として大成功を収めます。
あのスキャンダル以来、サージェントとゴートロー夫人は二度と会うことはありませんでした。
夫人の死後、破格の安さで故国アメリカのメトロポリタン美術館に売却しました。
そしてこの絵のことを「この絵こそ、私の描いた最高の作品だった」と言ったそう。