ミケランジェロの「最後の審判」を徹底解説!日本でも見れるって本当?

こんにちは!

今回は、ミケランジェロの《最後の審判》について解説します!

早速見ていきましょう!

《最後の審判》

ミケランジェロ・ブオナローティ《最後の審判》1536-1541年

ミケランジェロが66歳のときに1人で完成させた壁画です。

13.7 × 12メートルあり、個人の手による絵画作品としては史上最大といわれています!

その大きさは、なんと4階建てのビルに相当するほどです。

最後の審判ってなに?

「最後の審判」とは、キリスト教で一番重要だと考えられている教義です。

どんな教えかというと、世界の終末に、イエス・キリストが再び現れて、死者をよみがえらせ(この時点で人類は全て死んでいます)、全人類を裁き、天国行きか地獄行きかに振り分けるというものです。

(これ、無宗教の人が多い日本だと、「まぁ…作り話で嘘でしょう」って思う人が多いかと思いますが、世の中には、この考えを本当に信じている人が、現代でもたくさんいます。)

なので、地獄に行きたくなければ、清く正しく美しく生きなさいってことを伝えるための絵です。

この教義は、当初、終末のときとされた西暦1000年ごろと、ペストが猛威をふるった14世紀ごろに大流行し、最後の審判をテーマにした絵も数多く描かれました。

余談ですが、キリスト教でない人間はそれだけで地獄行きなので、日本人の大半は地獄行きです…(笑)

約20年後、5年かけて制作した

ミケランジェロは、ローマ教皇ユリウス2世から、システィーナ礼拝堂の天井画制作を依頼され、1508〜1512年にかけて完成させます。

それから約20年後、教皇クレメンス7世から祭壇画の制作を依頼され、次の教皇パウルス3世の治世である1535〜1541年にかけて制作し、1541年に完成しました。

449回に分けて描いた

フレスコで描かれているため、一度に全てを短時間で描かない限り、継ぎ目ができてしまいます。

その継ぎ目を数えると449、この壁画制作に449日はかかったことがわかります。

ちなみにキリストは9回に分けて描いています。

年俸は…?

1200ドゥカート(約3600万円)の年俸が支払われたそう。

元々は違う絵が描いてあった

ペルジーノの《聖母被昇天》ピントゥリッキオの模写

ミケランジェロが描く前から、祭壇画としてペルジーノ《聖母被昇天》が描かれていました。

ミケランジェロも、このペルジーノの絵を残すプランを提案していました。

しかし、クレメンス7世は「ペルジーノの絵は全部消して描いて!」

…ということで、ペルジーノの絵は完全に失われてしまします。

ペルジーノが描いた絵の中に、実父を殺した事件の黒幕シクストゥス4世が描かれていたため、消したかったのでしょう。

ペルジーノの絵は残っていませんが、その壁画を見て模写したスケッチが上の絵です。

400人以上描かれている

 

400人以上描かれているので、圧がすごい。

イエスから見て右は天国へ昇天していく善人(「Right」英語で正しいの意味)、左は地獄へ落ちていく悪人(「Left」英語で価値がないの意味)です。

イエスと聖母マリア

 

裁きを下すイエスと、聖母マリア(イエスの母)が描かれています。

身分の高いものほど大きく描くという古代エジプト絵画へのオマージュなのか、イエスが最も大きく描かれています。

ムキムキの聖人たち

 

イエスをはじめ、聖人たちがとても肉感的に描かれているのは、「神は神に似せて人を作った」という聖書の解釈からきています。

生皮と聖バルトロマイ

 

聖バルトロマイは、キリスト教を信仰して、生皮はぎの刑で死んだ聖人です。(キリスト教は弾圧されていたので、殺されてしまいます)

聖人が絵に描かれるときは、自分の死にまつわるモノが一緒に描かれます。

聖バルトロマイはナイフを持って、さらに皮も持ってますね…

ちなみにこのミケランジェロの自画像になっています。

さらに、聖バルトロマイの後ろにいるのは、ミケランジェロが愛していたカヴァリエーリという35歳年下のローマの青年貴族では?といわれています。(ミケランジェロの恋愛対象は男性、なので絵の中の女性も男性っぽく描かれています。)

煉獄の敗者復活戦

 

画面左下に描かれているのは、煉獄からよみがえった人々です。

煉獄は、12世紀頃キリスト教で言葉にされた観念で、天国と地獄の中間にある状態のことをいいます。

小罪を犯した死者の魂は、ここで苦しみを受けつつ、最後の審判のときを待つとされ、生きている者が死者のために祈れば祈るほど、その死者の魂は救われると考えられていました。

天国でも地獄でもない煉獄は、最後の審判の日に救われる可能性があることから、人々は天国に行くことは無理でも、せめて煉獄へ行けるようにと願っていたとか。

神曲をイメージした地獄

 

地獄の表現は、詩人ダンテの『神曲』地獄篇のイメージで描かれています。

左にいるのは、渡し守のカロンです。

地獄の番人ミノス

 

自分の嫌いな人を、地獄の番人として描いています。

さらに、ロバの耳(愚か者の象徴)まで描き込み、身体はでぐるぐる巻きです。(笑)

この絵を見て困り果てたモデルとなった張本人は、「どうにかしてくれ〜(泣)」とパウルス3世(この絵の発注者)に抗議しますが、

「煉獄はともかく、地獄では私は何の権限も無いからネ〜」と冗談まじりに受け流されます。(笑)

誰を描いたのかというと…

「公衆浴場じゃないんだから…(笑)」

当初、ミケランジェロが描いていたバージョンは、今よりもっとだらけでした。

それを、儀典長チェゼーナ「公衆浴場や宿屋にお似合いだ」とけなします。

当時の公衆浴場は、売春などが行われていた場所でした。

礼拝堂を飾るための渾身の作品を、そんな場所がお似合いと言われたミケランジェロは激怒し、地獄の番人として彼を描き入れました。

腰布画家と呼ばれる

ダニエレ・ダ・ヴォルテッラ《ミケランジェロの肖像》

ミケランジェロが亡くなった翌年の1565年、トリエント公会議がこの絵の裸を非難し、画家ダニエレ・ダ・ヴォルテッラによって、裸体の上になどを描いて隠します。

ダニエレはミケランジェロに可愛がられていた画家で、ミケランジェロの肖像画が有名です。

ダニエレも本当は上から描きたくなかったと思うのですが、上の命令には逆らえないので、必要最低限の部分にのみ布を描き入れています。

悲しいかなダニエレの名は、ミケランジェロの絵の裸を隠す仕事をした画家として有名になってしまい「腰布画家」というあだ名が付いています。笑う。

加筆した部分を一部除去

マルチェッロ・ヴェヌスティ《最後の審判》の模写 1549年

1990〜1994年の修復時に、全てではありませんが、ダニエレが加筆した部分を含む16体分の腰布が除去されました。

歴史的資料として最初の加筆はそのまま残され保存されています。

また、ダニエレ以外にも後世の画家たちが、オリジナルを削り取ってそこに加筆していたため、修正することが出来ない部分もありました。

上のマルチェッロ・ヴェヌスティが描いた、後世の画家が腰布を描く前の、ミケランジェロの作品を模写した絵が残っています。

絶対フレスコ

フレスコ画は、イタリア語で「新鮮な画」という意味です。

フレスコ画は、壁に下地の漆喰を塗り、それが乾く前に顔料を塗って絵を描くため、作業の手早さと正確さが求められる高度な技法でした。

油彩なら描き直しができますが、フレスコは壁に顔料が染み込んでしまうため、ミスなく描ききるデッサン力が必要でした。

フレスコ画の利点は、ひとたび漆喰が乾くと、顔料が壁に定着して一体化するため、絵が丈夫になることでした。

ミケランジェロはフレスコの技法を気に入っており、《最後の審判》を制作する際にも、「油彩で描くなど、女か無粋な人間のすることだ」といって、当初、ミケランジェロが描きやすいようにと、油彩用に整えられていた壁を削り落とし、フレスコ用の粗い下塗りがほどこされてから制作を開始しました。

徳島の大塚国際美術館の原寸大レプリカ

 

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バチカン市国まで行かなくても、徳島にある大塚国際美術館でなんと!原寸大で見れちゃいます!!

ミケランジェロの天井画と、祭壇画の《最後の審判》のレプリカがあるんです!!

これすごくすごくよかったです!!!

いつか必ず本物を見に行きたいなぁ〜〜〜って思いました…。

 


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その見分け方や、よく描かれるシーンについて絵やイラスト多めで解説が載っています。