こんにちは!
今回は、フェルメール作品の盗難についてです。
早速見ていきましょう!
フェルメールと盗難
37点しか現存しないフェルメールの作品のうち4点が、5回にわたって盗難にあっています。
どうしてこんなに狙われるのかというと、作品数が少ないので希少価値が高い&絵が比較的小型で持ち運びやすいサイズだからです。
しかしフェルメールほど有名な画家になると盗難品は売却できません。
売りに出したらすぐにバレて捕まってしまいます。
それでは何のために犯人は盗んでいるのかというと、おもな目的は、政治的な脅迫のネタにするためです。
1回目「恋文」
ヨハネス・フェルメール《恋文》1669年頃
1971年9月24日、ブリュッセルの展覧会場パレ・デ・ボザールから盗まれました。
展覧会場を訪れた客の1人が建物内に隠れて閉館時間が過ぎるのを待ち、夜になってこの作品を盗んで逃走しました。
彼は額縁から絵の部分をナイフで切り取り、丸めてポケットに入れて持ち去りました。
事件の10日後、ブリュッセルの新聞社に犯人を名乗る男から電話があり、東パキスタンの難民を救うための義援金を送ることなどを要求しました。
従わなければ《恋文》は二度と見ることができないと脅迫してきました。
その後犯人は逮捕され、絵は1971年10月3日に戻ってきました。
深刻な損傷を負っていた絵は、専門家によって1年間をかけて修復されました。
2回目「ギターを弾く女」
ヨハネス・フェルメール《ギターを弾く女》1672年
1974年2月23日、ロンドンのケンウッド・ハウスから盗まれました。
犯人は、ガラス窓を割って屋上から侵入しました。
犯人の要求は、国際的な地下組織IRA(アイルランド共和軍)のメンバーの北アイルランドの刑務所への移送でした。
犯人は、全く応じることのないイギリス政府に「劇的な方法で絵を燃やす」という脅迫文を送りました。
事件発生から約2ヶ月半後の1974年5月6日、ロンドン市内の教会の墓地で本作は発見されました。
事件の首謀者はIRAだと考えられていますが、彼らは事件への関与を全面的に否定しており、犯人はいまだに判明していません。
3回目「手紙を書く婦人と召使い」
ヨハネス・フェルメール《手紙を書く婦人と召使》1670年
1974年4月26日、ダブリンのラスボロー・ハウス
国際的な地下組織IRAが首謀者でした。
1974年5月4日に返還されました。
傷ついた絵を修復しているとあるものが見つかりました↓
4回目「手紙を書く婦人と召使い」
ヨハネス・フェルメール《手紙を書く婦人と召使》1670年
1986年5月21日、ダブリンのラスボロー・ハウス
国際的な地下組織IRAが首謀者でした。
1993年9月1日に返還されました。
5回目「合奏」
ヨハネス・フェルメール《合奏》1665年頃
1990年3月18日、ボストンのイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館
30年以上経った今も行方不明のままです。
美術館の展示室には、そのままの位置に額縁だけがかけられ、絵が戻ってくるのを待っています。