こんにちは!
今回は、フェルメール《音楽の稽古》についてです。
早速見ていきましょう!
目次
音楽の稽古
ヨハネス・フェルメール《音楽の稽古》1662-1665年
やや離れたところに、日差しを浴びた部屋で音楽を演奏する 2 人の人物がいます。
本作は、英国王室コレクションのため公開される期間が短く(しかも不定期)、実物をなかなか見ることができません…。
「音楽の稽古」は間違い
本作は19世紀に『音楽の稽古』というタイトルが付けられましたが、これは誤りであるようです。
女性と男性がともに音楽に興じていますが、2 人の関係ははっきりとはわかりません。
この絵は、単に音楽に取り組む一場面を描いた作品なのでしょうか。
あるいは、音楽はよく恋愛の隠喩として用いられることから、この作品も恋愛をテーマにしているのでしょうか。
若い女性
はっきりと描かれてはいませんが、この絵はヴァージナルを演奏している若い女性にフォーカスを当てています。
こちらに背中を向けているため、鏡にぼんやりと映る様子以外、その顔はよく見えません。
ヴァージナルを演奏しているであろう手も、こちらからは見えません。
服装からお嬢様だとわかる
サテン製の上着を身に着けているため、特権階級の家柄であることがわかります。
このような上着は実際に普段着として着用されていたものでした。
ヴァージナル
ヴァージナルは、主に裕福な家庭で使用されていた鍵盤楽器(チェンバロの一種)です。
家庭教師を招いて楽器の演奏を習うのは、通常その家の若い女性でした。
家庭で演奏会を催すこともよくありました。
そのため、音楽は社会的なつながりを作り出すとともに、異性と触れ合う機会を提供するという役割を果たすこともありました。
17 世紀には音楽はしばしば恋愛の比喩として用いられ、音楽を演奏する人物は、フェルメールと同時代の画家に人気のあるテーマでした。
つまりヴァージナルは、「愛」を表現するアイテムの一つとして描かれることがありました。
本作品に描かれたヴァージナルの洗練された装飾には、有名な楽器製作者のルッカース家による楽器の特徴があらわれています。
ジョアン(ジャン)・ルッカース《ミュゼラー ヴァージナル》1622年
アンドレアス・ルッカース《チェンバロ》1627年
銘文
ヴァージナルの蓋にある「MUSICA LETITIAE CO[ME]S / MEDICINA DOLOR[IS]」とは、「音楽は喜びの友、悲しみの薬」を意味します。
音楽は、聞く人々や演奏する人々に喜びや調和を与えるものでもあります。
歌を歌う男性
男性の口元を見ると、歌を歌っていることがわかります。
ブルジョア階級の証である剣を持っているため、おそらく女性の音楽教師ではなく、同じ社会的地位にある可能性が高いと思われます。
この2人は恋愛関係にあるのでしょうか。
いずれにせよ、この男性は典型的な求愛者ではなく、また経験豊富な誘惑者でもありません。
男女の正確な関係は、絵の中でははっきりとしないままです。
画中画の意味
上の絵は、『ローマの慈愛』という教訓話を描いた絵の一部です。
フェルメールの義母が所有していた絵のようです。
ディルク・ファン・バビューレン《ローマの慈愛、シモンとペロ》1623年頃
どういう話かというと、餓死刑に処せられた父親のシモンを飢えから救うために、娘のペロが授乳するというものです…。
この話はキリストの慈善を象徴するものとして受け止められており、人々はこの逸話を通して神を身近に感じていたようです。
この絵の下に水差しが意味ありげに置いてあります。
ヴァージナルの銘文と合わせて考えると、本作品は必ずしも情熱的な愛に関係するものではなく、より広い意味での愛、つまり宗教的感覚がもたらす慰めを意味していると考えることもできます。
何かがおかしい鏡
絵の中には、ヴァージナルの方に傾いた鏡が描かれています。
そこには若い女性の顔の他に、テーブル、テーブルカバー、そして床の一部が映っています。
鏡に映った女性の頭は、男性の方へと向いています。
彼女がヴァージナルに向かって正面を向いているとして、鏡像は実際の映り方ではありえない方向だという説もあります。
個人的には右を向いているように見えますが、なんとも微妙なところ…。
さらに面白いことにフェルメールは、画家が使うイーゼルの脚を鏡の中に描いており、見る者にいろいろなことを示唆しています。
これは、イーゼルの後ろに座って目の前の対象を描くという、フェルメール本人の様子を実写的に描写したものなのでしょうか。
あるいは、このイーゼルは、この絵画全体が実はフェルメールが慎重に作り出した想像上の場面であることを示唆しているのでしょうか。
恋愛を象徴する弦楽器
床には、恋愛を象徴する弦楽器ヴィオラ・ダ・ガンバ(コントラバス)が置いてあります。
奥行きと空間
本作品が錯覚させる奥行きと空間は、とても現実的なものになっています。
これは遠近法の使用(消失点は若い女性の左袖の辺りにあります)によるものだけではなく、フェルメールが空間の奥に人物を配置したためです。
タイル張りの床、テーブルラグと白い瓶、椅子とコントラバスをたどり、見る者の視線は2人の人物のほうへと導かれます。
中間に置かれたさまざまなものは、演奏者と見る者の間に空間的な隔たりがあることを示すという役割を果たしています。
高価なウルトラマリンブルー
技術的調査によって、フェルメールはこの絵画に大量のウルトラマリンを用いたことがわかっています。
ウルトラマリンは、17 世紀に入手できた青色の顔料のうち特に高価なものの1つです。
というのも、原料は、宝石のラピスラズリだからです。
フェルメールは、椅子やラグの模様の表層だけでなく、下の層にもウルトラマリンを使用しています。
床の黒いタイルは実際には濃い青色で描かれており、壁の影も青い色合いです。
フェルメールはウルトラマリンをいたる部分に使用しており、おそらく裕福なパトロンのためにこの作品を描いたことがうかがわれます。
光と影
この作品はまた、フェルメールが「光の魔術師」と呼ばれる所以を裏付けています。
光は現実的に描かれていますが、フェルメールはあえて現実をまげています。
この絵の構成要素として利用されているのは影です。
たとえば、窓の角とヴァージナルの角を結ぶ影の線といったように、さまざまな要素がつながり合って画面構成に統一感をもたらしています。
この窓の模様は、《水差しを持つ女》にも見られます。
別の画家の作品だと思われていた
フランス・ファン・ミーリス《ハープシコードと婦人》1658年
この絵画は 1762 年にロイヤル コレクションに加えられましたが、当時はフェルメールと同時期に活躍したフランス・ファン・ミーリスによる作品だとされていました。
19 世紀に入ってようやく、フェルメール作品に関する大がかりな研究を最初に発表し、多くの人々にフェルメールが再認識されるきっかけを作った美術評論家のテオフィル・トレ・ビュルガーによって、作者の名前が正しく知られるようになりました。
カメラ・オブスクラ
フェルメールは「カメラ・オブスクラ(カメラ・オブスキュラ)」を使用していたと推測されています。
この説には異論もありますが、本作の部屋のミニチュア模型で検証した結果、カメラで撮影した部屋の写真と絵の構図がぴったり重なることが判明しました。
それほどフェルメールの遠近法は正確だということですね。