こんにちは!
今回は、ルノワール描いたシュザンヌについてです。
早速見ていきましょう!
ルノワールとシュザンヌ
ピエール=オーギュスト・ルノワール《雨傘》1881-1886年
シュザンヌ・ヴァラドンは、ルノワールの愛人兼モデルでした。
上の絵の左の女性がシュザンヌです。
当代一の美女と言われていたシュザンヌとは14歳のときに出会いました。
彼女の母親はお針子で、シュザンヌはサーカスのぶらんこ乗りでしたが、負傷したため画家のモデルになっていました。
その後ドガの強い勧めもあり、彼女自身も画家の道を目指した結果、見事に画家として大成することになります。
ピエール=オーギュスト・ルノワール《ブージヴァルのダンス》1883年
シュザンヌは画家ユトリロの母ですが、美人で愛人が複数人いたため、父親がわかっていません。本人はわかっていたかもしれませんが。
シュザンヌが、一連のダンスの絵のモデルを務めた翌年に、ユトリロを私生児として出産したことから、ルノワールが父親という疑惑も…。
ピエール=オーギュスト・ルノワール《都会のダンス》1883年
ルノワールはダンス3部作全てシュザンヌで描くつもりでいましたが、後に妻となるアリーヌが嫉妬したため《田舎のダンス》のみアリーヌが描かれています。
ピエール=オーギュスト・ルノワール《風景のなかの裸婦》1883年
1881年に旅したイタリアのヴェネツィア、ローマ、ナポリなどで目にしたラファエロなどのルネサンス絵画や古代美術が、古典的な手法で人物を描くきっかけになりました。
さらに、豊満で官能的なこの女性像は、ルノワールが愛したロココの画家ヴァトーやブーシェの影響も見られます。
ピエール=オーギュスト・ルノワール《シュザンヌ・ヴァラドン》1885年
ピエール=オーギュスト・ルノワール《シュザンヌ・ヴァラドンの肖像》1885年
ピエール=オーギュスト・ルノワール《髪を編む娘》1886-1887年頃
実際のシュザンヌは、金髪で青い瞳で色白でしたが、ルノワールは上の絵のように、場合によっては黒髪、黒い瞳、健康的な肌で描きました。
これは商業的にこちらの方がウケると思ったからかもしれません。
ピエール=オーギュスト・ルノワール《大水浴図(浴女たち)》1884-1887年
中央がアリーヌ、左がシュザンヌがモデルです。
新古典主義の巨匠アングルを思わせる魅力的な線描で描かれたこの絵は、ヴェルサイユ宮殿の庭園にある17世紀の彫刻家フランソワ・ジラルドンの浮彫から着想を得て制作されたものです。
アルジェリアやイタリアへの旅行で、「光そのものではなく、人物や静物の実態を描きたい」と考えるようになったルオワールは、その意思を固めて古典主義的な手法を取り入れました。
鉛筆やチョーク、インク、水彩など様々な画材で習作を重ね、入念に準備して1枚の絵に取り組むのは、ルノワールの人生で初めてのことでした。
3年の歳月をかけてこの絵を完成させました。