マネ、ティツィアーノ、ジョルジョーネが描いた横たわるヴィーナスとは?

こんにちは!

今回は、3人が描いたヴィーナスについてです!

早速見ていきましょう!

3人のヴィーナス

ジョルジョーネ《眠れるヴィーナス》1508-1510年頃

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《ウルビーノのヴィーナス》1538年

エドゥアール・マネ《オランピア》1863年

眠れるヴィーナス

ジョルジョーネ《眠れるヴィーナス》1508-1510年頃

西洋絵画史上初めて、大画面で「横たわる裸婦」を描いた作品でした。

さらに、ヴィーナスなど神話の登場人物を描く場合、その神話の名シーンを描くのが通常でしたが、ジョルジョーネは、特定の物語の場面を描いていないことも斬新でした。

この絵は、ヴェネツィアの貴族結婚を記念して作られた絵だと考えられています。

ジョルジョーネは途中で亡くなってしまい、ティツィアーノが風景や空を描いて完成させています。

この絵に衝撃を受けた画家たちが、自分流の横たわるヴィーナスを描いていきます。

ウルビーノのヴィーナス

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《ウルビーノのヴィーナス》1538年

ジョルジョーネの絵を、さらに官能的に描いたのが、この作品です。

ジョルジョーネのヴィーナスは、田園を背景に目を閉じていますが、ティツィアーノの絵は、背景は邸宅、目を開けた状態で長椅子かベッドに寄りかかるヴィーナスを描いています。

モデルは高級娼婦だといわれています。

結婚の贈り物としてウルビーノ公爵が注文したと考えられています。

オランピア

エドゥアール・マネ《オランピア》1863年

マネはこの作品を、1865年のサロンに出品し、入選しましたが、怒り狂った客が、絵を破壊しないように監視員が見張っていたほどの問題作でした。

上の2つの絵は称賛されて、このマネの絵がダメだった理由は「現実の裸の女性」を描いたからです。

ジョルジョーネとティツィアーノはあくまでも「ヴィーナス」という建前で裸の女性を描きました。

ヴィーナスは女神なので、人間ではありません。だから裸でもOKという暗黙のルールがありました。

さらにタイトルの「オランピア」とは、当時のパリの娼婦によくある源氏名でした。