こんにちは!
今回は、フェルメールの《牛乳を注ぐ女》にまつわるエピソードを紹介します。
早速見ていきましょう!
牛乳を注ぐ女
ヨハネス・フェルメール《牛乳を注ぐ女》1660年
海外流出の危機
フェルメールの死後、繁栄を誇ったオランダは大国の侵略を受け、急速に力を無くしていきました。
19世紀になっても経済は停滞したままで、フェルメールの数少ない作品は、次々と外国に買い取られていきました。
20世紀初頭には、オランダ国内に残ったフェルメールの絵は、わずか7点のみでした。
その中の1枚が《牛乳を注ぐ女》でした。
そしてこの絵にも海外流出の危機が訪れました。
資金が集まらない
当時、この絵は名門シックス家が所有していましたが、遺産相続のために手放すことを決めました。
シックス家は、この絵を含む39点の絵画に、75万ギルダー(現在の日本円で約13億円)の値をつけました。
もしオークションに出品したら、国外流出を免れることはできません。
絵の流出に反対する人たちが資金集めを行うも、55万ギルダー(約9億円)も不足していました。
どうにもならない…と思っていたそのとき、オランダ政府の内務大臣ピート・リンクがある提案をします。
無駄遣いするな!
ヤン・リンケの風刺画 1907年
彼はオランダの芸術・科学分野の担当で、この名画を政府で買い上げようとしました。
しかし55万ギルダーというのは、芸術・科学分野の年間予算の6割近くにもなるため、議会の決議が必要でした。
彼は議員たちを説得し、やっと絵画購入に向けて審議が始まろうとしたときに、それを妨害するように『シックス家のコレクションを買うべきか?』という小冊子が世に出ました。
この小冊子には、シックス家が主張する絵の価値を否定し、国家が巨額の絵画を購入することに反対する内容でした。
39点のほとんどは大したことのない作品で、《牛乳を注ぐ女》とセットにすることで高額で売り付けようとしているなどなど…
これをきっかけに議会は振り出しに戻り、金額や支出の是非をめぐって大混乱…。
さらにアメリカの金融王モルガンが、シックス家に、オランダ政府が買わなければ絵を買い取ると宣言しました。
上の風刺画は、牛乳を注ぐ女が資金力豊かなアメリカに連れて行かれていいのか?オランダが紳士的に彼女を守るのか?という当時の論争の風刺画です。
リンクの演説
1907年、採決を前にリンクは最後の演説を行いました。
「国家の尊厳にかけて、この絵を買うという提案に是非賛成してほしい」
その言葉には、オランダの名画を守りたいという強い思いが込められていました。
採決の結果、彼は圧倒的な勝利をおさめ、《牛乳を注ぐ女》は国外流出を免れました。
現在もオランダのアムステルダム国立美術館に所蔵されています。