アルトドルファー「アレクサンダー大王の戦い」を超解説!

こんにちは!

今回は、アルトドルファー「アレクサンダー大王の戦い」を解説します。

早速見ていきましょう!

アレクサンダー大王の戦い

アルブレヒト・アルトドルファー《アレクサンダー大王の戦い》1529年

願掛けの絵

150年以上前にあった戦いでの歴史的勝利にあやかって、自分たちも同じように勝ちたい!という思いから画家に描かせた願掛け絵画です。

この絵が描かれる前、ヨーロッパではイスラム教側の勢力が拡大していました。それを懸念したキリスト教のバイエルン大公ヴィルヘルム4世が、自分たちの勝利を願ってこの絵をアルトドルファー発注しました。

板にはなんて書いてあるの?

ラテン語で「アレクサンダー大王はダレイオスを打ち破り、10万の歩兵と1万を超える騎兵を殺害した。一方ダレイオスは1000人に満たない騎兵と共に逃亡し、彼の母、妻、子供たちは捕虜になった。」と書いてあります。

ここからこの絵は紀元前333年のイッソスの戦いを描いたものだということがわかります。

ちなみにこの板に書かれた文章、元々はドイツ語で書かれていたものが、後にラテン語に書き換えられています。

また、この文章を考えたのはヴィルヘルム宮廷の歴史家ヨハネス・アヴェンティヌスではないかといわれています。

エレトリアのフィロクセノス《アレクサンドロス大王のモザイク》紀元前 120-100年頃

上の作品はポンペイのモザイク画でイッソスの戦いを描いた作品です。

アレクサンダー(マケドニア軍)がイッソス湾でダイオレス(ペルシャ軍)を打ち負かして勝利します。これによって約220年続いたペルシャのアケメネス朝は滅びました。

敗者:ダレイオス3世

三頭の白馬が曳くチャリオット(戦闘用馬車)に乗って逃げているのがダイオレスです。

チャリオットがあるのでぱっと見豪華で強そうな感じがするのにこちらが敗者です。でもよく見ると馬に鎧をつけておらず、弱そう。

彼はトルコ軍の軍服を着ています。これはダイオレスの時代の服装ではなく、絵が描かれた当時の服装です。

ここからも昔の出来事を描きながら、当時のヨーロッパとオスマン帝国との戦争を重ねて描いていることがわかります。

ペルシャ軍

ダイオレスの軍は、ターバンを巻いています。アレクサンダーの軍と比べて装備が甘い感じがします。

勝者:アレクサンドロス3世(アレクサンダー大王)

古代ギリシャのマケドニアの王アレクサンダーです。金の長槍を持っています。

アレクサンダーは16世紀の甲冑を身につけています。

彼は後に捕虜にしたダイオレスの娘(王女)を妃のひとりにしています(一夫多妻)。

アレクサンダー大王といえば「運命とは伝説によってもたらされるものではなく、自らの剣によって切り拓くものである」という名言でも有名です。

負け知らずでとても強かったアレクサンダーでしたが、イッソスの戦いから約10年後、33歳という若さで急死してしまいます。

マケドニア軍

アレクサンダーの軍はしっかり着込んで重装備。見てわかるようにペルシャ軍より装備がしっかりしています。

太陽と三日月の意味

三日月はイスラムのシンボルです。暗い三日月と明るい太陽。何を言いたいかは一目瞭然です。

とはいえ、アレクサンダーの時代には、イスラム教はまだありませんでした。同じくキリスト教もありません。

太陽はアレクサンダー大王の勝利を表しています。

願掛けは叶ったのか

願掛け絵画の効果は…あったようです。

1529年に第一次ウィーン包囲という、オスマン帝国(イスラム教)が神聖ローマ帝国(キリスト教)の首都ウィーンを包囲して攻撃しようとしました。

しかし包囲は失敗し、オスマン軍は撤退、キリスト教側は勝利しました。

実はもっと大きかった?

いまある絵は縦長ですが、実は絵の全ての端が切り取られてしまっているようで、元々の絵は空の部分が大きく、月は画面中央寄りに描かれていたようです。そう考えるとかなりの部分が切り取られてしまっていることに…。