こんにちは!
今回は、ピカソが愛した7人の女性を紹介します。
早速見ていきましょう!
ピカソと7人の女性たち
ピカソは付き合う相手によって、画風が変わっていきました。面白い。(笑)
フェルナンド・オリヴィエ
《フェルナンド・オリヴィエの肖像》
最初の恋人フェルナンド・オリヴィエとの出会いは、ある夏の夕方でした。
激しい夕立に降られ、アパートの軒先に飛び込んできた彼女に、ピカソは自分が抱いていた子猫を手渡し、自分の部屋へ誘います。
この時のピカソは、まだ絵が売れず、貧しい生活をしていました。
この時代に描かれた絵を「青の時代」と呼びます。
フェルナンドと出会ったピカソは、彼女との甘い生活で、画風が明るく優しくなり「バラの時代」へ移り変わります。
そして開いた個展が成功し、世間に才能が認められるようになります。
しかし、フェルナンドの友人エヴァに手を出して、2人の仲は7年で終わりを告げました。
エヴァ・グエル
《マ・ジョリ》1911-1912年
オリヴィエの友人だったエヴァ・グエルは、ピカソと付き合い始めます。
ピカソは彼女を、当時最先端だった「キュビスム」という手法で描いています。
絵の下のところに「マ・ジョリ」と書いてありますが、これはフランス語で「私の可愛い人」という意味で、エヴァの愛称でもありました。
しかし病弱だった彼女は、その後亡くなってしまいます。
オルガ・コクローヴァ
《ソファに座るオルガの肖像》1918年
最初の妻オルガ・コクローヴァと出会い、彼女から「私を描くときは、私とわかるように描くこと」と言われます。
彼女は、ロシア貴族の血を引くバレエダンサーでした。
この時代のピカソの絵は「新古典主義」といわれる画風で、ギリシャ彫刻のようでした。
マリー・テレーズ
《夢》1932年
妻オルガと次第にうまくいかなくなったピカソは、46歳のとき、17歳のマリー・テレーズを愛人にします。
マリーとの出会いは、彼女がデパートの前で人を待っていたときに、ピカソがいきなり「君の肖像画を描かせてください。私はピカソです」と声をかけたときでした。
ピカソはマリーを「完璧な顔と体」とたたえ、彼女のからだつきの美しさにとりこになり、また画風が変わります。
8年後マリーは妊娠し、ピカソは妻オルガのもとを離れ、彼女と暮らし始めますが、母となったマリーへの興味は急激に失せてしまいます。
彼女も後に自殺しています…。
ドラ・マール
パブロ・ピカソ《泣く女》1937年
ピカソの代表作《泣く女》のモデルにもなった、写真家で画家のドラ・マール。
才気あふれる内面に刺激を受け、彼女をモデルとして描きました。
ピカソも彼女のことを「よく泣く」と言ったそうで、その泣きっぷりに関心していたそう。(笑)
ピカソとの破局後は、精神病院に入院しています…。
フランソワーズ・ジロー
《花の女》1946年
62歳のピカソが次に愛人にしたのは、22歳の画学生フランソワーズ・ジローでした。
ピカソは彼女のことを「人間は誰でも動物に似ているものだが、君は違う。植物だ」と言い、彼女の穏やかさを表現しました。
フランソワーズは、ピカソとの間に一男一女を生みますが、ピカソの女性関係(妻オルガ、愛人のマリー、ドラはこのときには身を引いていた)に嫌気がさし、子供を連れて出て行ってしまいます。
フランソワーズの別れのセリフ「あなたのような歴史的記念碑とは、これ以上生活を続けたくない」は、当時名台詞として話題になりました。
当時ピカソは72歳、今まで女性に振られたことがなかったので、大きなショックを受け、南フランスの古城を買い取り、引きこもります。
ちなみに彼女は2021年現在も存命中(なんと100歳!)で、作家活動を続けています。
ジャクリーヌ・ロック
《腕を組むジャクリーヌ》1953年
そんな引きこもりのピカソの身の回りの世話をしたのが、後に2番目の妻となるジャクリーヌ・ロックです。ピカソとはなんと45歳差!
彼女は、巨匠ピカソを訪ねて、世界中から押しかけてくる画商やジャーナリストたちを追い払い、アトリエで制作するピカソを守る「門番」でした。
ピカソは彼女を母親代わりに甘えきっていたそう。
ピカソの死後、彼女は自殺しています…。
ピカソは女性との恋愛をきっかけに、作風を変化させ、名作を生み出していきましたが、女性たちの方を思うと、なんだかなぁ…幸せだったのかなぁ…なんて思ってしまいます。