こんにちは!
今回は、ゴッホが描いた弟テオの息子誕生祝いの絵について解説します。
早速見ていきましょう!
花咲くアーモンドの木の枝
フィンセント・ファン・ゴッホ《花咲くアーモンドの木の枝》1890年
テオに息子が生まれたお祝いに
1890年1月31日、ゴッホ36歳のとき、弟テオと妻ヨーの間に息子が生まれました。
彼らは息子に、ゴッホと同じ名前「フィンセント・ウィレム」という名前を付けました。
息子フィンセント・ウィレムが、後にゴッホ美術館を設立しています。
ゴッホもこのビックニュースに「言葉にできないくらい嬉しい」と手紙に書き、喜びをあらわにしています。
一方、自分と同じ名前を付けたことに対しては、「僕の名前より(ゴッホたちの)父親の名前の方が適しているのでは?」と少々困惑していました。
ゴッホは2月に、息子誕生を祝って、上の絵を描いて贈りました。
ゴッホはこの絵を、テオたちの寝室に掛けてほしいと思っていましたが、2人は、リビングのピアノの上に飾ることにしました。
テオの死後、ヨーと息子が引越しした先では、寝室に飾られていました。
ゴッホとテオの死後、ゴッホの作品は全てヨーの手に渡りました。
ヨーは、多くの絵画を売りましたが、この絵は彼女と息子にとって非常に大事な作品だったため、売ることはありませんでした。
現在もゴッホ美術館でこの絵が展示されています。
新しい生命の象徴として
南フランスでは、アーモンドの木は、2月に早くも花が咲きます。
ゴッホは、春の到来と新しい生命の始まりの象徴として、アーモンドの木を絵の題材に選びました。
花の色は元々はピンク色でしたが、退色し、白っぽくなっています。
日本の影響
文鳳《撫子の習作》『芸術の日本、美術・産業資料』1888年5月第1号より
ゴッホは、ビングの編集による月刊紙『芸術の日本』の創刊号に掲載された下の作品などからインスピレーションを受けて、見上げるような視点で枝をクローズアップして描いています。
はっきりした輪郭線なども浮世絵の影響だと考えられています。
フィンセント・ファン・ゴッホ《グラスに入れた花咲くアーモンドの枝》1888年
同じくアーモンドの木の枝を描いた作品ですが、どこか日本の生花を思わせます。
フィンセント・ファン・ゴッホ《グラスに入れた花咲くアーモンドの枝》1888年