タンギー爺さんって誰?なぜ浮世絵が描かれているの?ゴッホの思いとは?超解説!

こんにちは!

今回は、ゴッホの描いたタンギー爺さんについてです。

早速見ていきましょう!

タンギー爺さん

フィンセント・ファン・ゴッホ《タンギー爺さんの肖像》1887年

34歳のとき、パリで画材屋兼画商を営むジュリアン・フランソワ・タンギー(愛称タンギー爺さん)の店で、絵具を買っていました。

タンギーは、ゴッホのようなお金のない画家を支援するため、絵と交換で画材を提供していたため、若い画家たちの交流の場となっていました。

彼は若い頃、パリ・コミューンの一員として参加し、逮捕勾留された経験を持っています。

そうした事からかタンギーは、貧しい芸術家たちに理解を示し、絵画で画材代の支払いをすることも認め、困っているときは画材をあげたり、食事を一緒にしたりしました。

彼は、ゴッホ以外にも、ガシェ医師、画家ピサロモネルノワールゴーギャン、ギヨマン、ロートレック、ヴィニョンと交流があり、彼らの絵画を展示、販売していました。

タンギーはゴッホの死に際して葬儀に参列した数少ない人物で、その後も彼の絵を展示していました。

タンギー爺さん

フィンセント・ファン・ゴッホ《タンギー爺さん》1887年

背景には数多くの浮世絵が描かれていますが、実際にはタンギーの店では浮世絵は扱っていませんでした。

タンギーの店は現在、浮世絵などを販売する土産物屋になっています。

 

日本人はお互いに励ましあって生きていると考え、日本を理想郷だと思い込んでいたゴッホは、慕っていたタンギーの人柄と日本人の人柄を重ね合わせて描いたのかもしれません。

日本を表す、桜、富士、芸者の絵を意図的に使い、背景の浮世絵で春夏秋冬を表現しています。

 

歌川国貞《三世岩井粂三郎の三浦屋高尾》1861年

一見、美人画のように見えますが、歌舞伎役者の三世岩井粂三郎が演じる、吉原・三浦屋の一番人気の遊女の高尾太夫を描いた役者絵です。

 

秋を表しています。

歌川広重 《富士三十六景 さがみ川》1858年

歌川広重 《五十三次名所図会 十五 吉原 不二の沼浮嶋か原(竪絵東海道)》1855年

 

春を表しています。

歌川広重 《五十三次名所図会 四十五 石薬師》1855年

 

渓斎英泉 《雲龍打掛の花魁》

この絵は特に気にいっていたのか、個別でも描いています。

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夏を表しています。

作者不詳《東京名所 いり屋》

上の作品は、浮世絵ではなく、ちりめん浮世絵(クレポン)です。

クレポンは、玩具であり外国人のお土産として人気がありましたが芸術的な価値はない、というのが明治時代から現代までの評価でした。

ゴッホもクレポンを集めており、ゴッホ美術館に17点あります。

二代歌川広重《東都名所三十六花撰 入谷朝顔》1866年

余談ですが、長らくこちらの浮世絵が元ネタだと思われていました。

 

冬を表しています。

この絵の部分に関しては、いまだに元ネタが判明していません。

なんとな〜く、これではないか?といわれている作品を紹介します。

渓斎英泉《江戸八景 吉原夜の雨》

歌川広重《江都名所 吉原日本堤》

見ての通り、どちらもそこまで似ていません。

ゴッホが意図的に雨を雪に変えて描いた可能性もありますが、この部分以外、元ネタを忠実に再現していのに、ここだけ変更するかな〜と思ってしまいます。

どちらかというと、無名の浮世絵師の作品で、この絵のような雪景色があったのでは?と考えてしまいます。

もう一枚のタンギー爺さん

フィンセント・ファン・ゴッホ《タンギー爺さん》1887年

 

歌川芳虎《美人 三枚つづきの右》1846-1848年

歌川芳虎《美人 三枚つづき》1846-1848年

 

歌川広重《五十三次名所図会 十四 原 あし鷹山不二眺望(竪絵東海道)》1855年

 

豊国《今様押絵鏡 芸者長吉》1859年

 

フィンセント・ファン・ゴッホ《マルメロ、レモン、ナシ、ブドウ》1887年

この絵は、現在唯一残っているゴッホオリジナルのフレームで、色が塗ってあります。

《タンギー爺さん》の絵の中では、フレームの内側に赤い線がありますが、絵の中の話ではなく、本当に赤く塗ってありました。

 

拡大して見ると、その名残りが至る所に…。

後の3枚の浮世絵は、もうひとつのタンギー爺さんの絵と同じものです。