伝統ガン無視マネの「オランピア」を超解説!何がそんなに問題になったの?

こんにちは!

今回は、マネの《オランピア》についてです。

早速見ていきましょう!

オランピア

エドゥアール・マネ《オランピア》1863年

マネはこの作品を、1865年のサロンに出品し、入選しましたが、《草上の昼食》と同様に大批判されてしまいます。

「体が黄色い」「メスゴリラ」などなど散々な言われようでした。

怒り狂った客が、絵を破壊しないように監視員が見張っていたほどの問題作でした。

スキャンダラスな絵

マネとしては、現代のティツィアーノのつもりで描いたのに、この絵は一大スキャンダルになってしまいました。

ジョルジョーネとティツィアーノのヴィーナスの絵は称賛されて、マネの絵がダメだった理由は「現実の裸の女性」を描いたからです。

ジョルジョーネとティツィアーノはあくまでも「ヴィーナス」という建前で裸の女性を描きました。

ヴィーナスは女神なので、人間ではありません。だから裸でもOKという暗黙のルールがありました。

現実の裸の女性を描くことがタブーだった時代、この作品の衝撃度は相当なものだったでしょうね…

メスゴリラ

 

モデルのトルソの形態について、特に厳しい批評を受けました。

当時の美術愛好家は、彫刻的で均整のとれた理想化された人物像を見ることに慣れていました。

一方、《オランピア》の肉体は、あまりにも現実的すぎました。

その上、多くの批評家は《オランピア》の色に対しても批判的でした。

ある者は「皮膚のトーンは、薄汚かった」と評し、またある者は「黄色い腹のオダリスク(女奴隷)」と言い表しました。

娼婦を連想させる

 

タイトルの「オランピア」とは、当時のパリの娼婦によくある源氏名でした。

髪には蘭の花をさしています。

鑑賞者をたじろがせる、真っ直ぐなまなざしをこちらに向けています。

このふてぶてしさも、不評の理由のひとつでした。

モデルはヴィクトリーヌ・ムーラン、マネのお気に入りのモデルで、彼女も画家でした。

 

首には黒いリボンをしていますが、これは高級娼婦の間で流行していたアクセサリーでした。

 

 

鈴付きの腕輪脱げかけたサンダルや素足にはいたミュール、皺のよったシーツも娼婦を連想させます。

スリッパを片足にしか履いていないというのは、失われた純潔を示す伝統的なシンボルでした。

 

さらに、横には黒人女性が白人女性の召使いとして描かれ、彼女はオランピア宛に客から届いた花束を持っています。

当時、大勢の黒人が下働きをしていましたが、絵画に描かれることは稀でした。

 

ティツィアーノの作品では犬でしたが、マネはに変えています。

猫は「女性の秘部」など性的なイメージを暗示する動物でした。

平べったい

サロンが好んだ絵は、奥行きのある空間表現や、立体感、理想化された裸体でした。

ですがマネの絵は、ルネサンス以来の明暗法と遠近法を完全に捨て去った前衛的な作品でした。

人物も位置と無関係にほぼ同じ大きさで描かれています。

裸体も理想化されておらず、かといって写実的とは言いながらも、浮世絵の影響から遠近法を使わないため画面は平べったくなっています。

描かれた内容よりも、遠近法や、立体感を表現する陰影を無視したことの方に人々は困惑し、ショックを受けたそう。

マネの作品は、何より個性的なタッチをそのまま画布に残しているのが魅力でしたが、当時の人々にとってはそれも含め、マネの技法は斬新すぎて受け入れ難く、不評でした。

この大胆なタッチはベラスケスの影響ではといわれています。

セザンヌが描いた「オランピア」

ポール・セザンヌ《現代のオランピア》1873-1874年

セザンヌが第1回印象派展に出品した上の作品は、マネの《オランピア》へのオマージュとして描かれた作品です。

娼婦オランピアと世話をする黒人女性に加え、客を描くことで絵画における裸婦を性的対象として描き、こちらも物議を巻き起こしました。

この絵をモネが買う

マネの死後、この作品が海外へ流出するのを防ぐため、モネがみんなに声をかけて共同購入し、国に寄贈し、現在はパリのオルセー美術館に所蔵されています。