70代で絵を描き始めた画家グランマ・モーゼスを超解説!

こんにちは!

今回は、グランマ・モーゼスについてです。

早速見ていきましょう!

グランマ・モーゼス(1860-1961年)

 

アンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼスは、アメリカ人なら誰もが知る国民的画家です。

グランマ・モーゼス(モーゼスおばあちゃん)はニックネームです。

農家の主婦

ニューヨーク州グリニッチの貧しい農家に生まれました。

12歳から奉公に出て、27歳で結婚、10人子供が生まれ(うち5人は幼児期に夭逝)、人生の大半を農家の主婦として家庭をきり盛りしてきました。

70歳のとき、夫が亡くなりました。

75歳くらいから絵を描き始める

70代になり、リウマチの悪化で、得意の刺繍絵が上手くできなくなり、その代わりにリハビリもかねて油絵を描き始めました。

ニュー・イングランドの自然や農村の暮らしなどを素朴な筆致で描き、近所の店のショーウインドーに飾ってもらったりしていました。

本格的に絵の勉強をしたことがなかったモーゼスは、動く人間を描くのが苦手でした。

そこで、新聞や雑誌の写真やイラストを切り抜いて絵の参考にしていました。

80歳でスターに

偶然、村を訪れたコレクターがモーゼスの絵に目をつけ、1940年、80歳のとき、ニューヨークで初めて個展を開きました。

この個展に大手デパートが注目し、一躍有名画家となりました。

アメリカの人気者になったモーゼスは、テレビやラジオに出演し、その日常はドキュメンタリー映画にもなりました。

89歳のとき、当時の大統領ハリー・S・トルーマンによってホワイトハウスに招待されました。

有名になってからも、モーゼスは変わらず農家の主婦として堅実な生活を送りました。

101歳で亡くなるまで、約1,600点の作品を残しました。

《キルティング・ビー》1950年

《古い市松模様の家、1853年》1944年

《村の結婚式》1951年

《農場の引越し》1951年

《ペニントン、1953年》1953年

《シュガリング・オフ》1955年

《魔女》1960年

《虹》1961年